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2007年 05月 21日
承前
1970年 ボブ・ディラン12枚目のアルバムである。 ![]() ジャケットのディランは眼光鋭く、スーツ姿なのか久しぶりにぴっしとしている。まじめなお見合い写真のようでもある。 ジョージ・ハリソンとディランが接近遭遇し、それがこのアルバムの一曲目『イフ・ナット・フォー・ユー』に反映されている。 だが、やはり私はジョージの『オール・シングス・マスト・パス』のこの曲の方が好きだったりする。それほど、当時このアルバムに対する印象が薄いのだ。 それを、考えるとこのジャケットは、あまりに生真面目すぎて、わたしたちを裏切ることが少ないぶんディランらしくないのかもしれないという気になってしまう。 1971年__________☆ ![]() ブルーのライトに浮かび上がるブルー・デニムの上下に、もちろんハモニカ・ホルダーを首から下げたこちらの方のディランなのだ。バリー・フェインシュタインが撮影した、後ろ姿の、でもそれが印象的で、いまにもギターをじゃらんとやって歌い出しそうな、とてもディランらしいと思える71年の30歳のディランである。 ■
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by tsukimoto_natsumi
| 2007-05-21 22:13
| Music
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Comments(2)
2007年 05月 16日
67年のオートバイ事故は、ずっとローリング・ストーンし続けていたディランにとっては予期せぬ休暇となり、ザ・バンドとともにウッドストックのビッグピンクに籠もる。
1968年__________☆ ![]() 1969年__________☆ ![]() しかし、今考えれば、これがボブ・ディランという男なのである。このアルバムからは、「レイ・レディ・レイ」がヒットする。 1970年__________☆ ![]() すでに、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグピンク』のジャケットで彼の絵の腕前は、承知済みだとはいえ、ここでディラン自身による自画像の登場である。まさに男の顔は履歴書を自ら描いてみせたのだ。 ここでは、伝説のワイト島でのライブ4曲もさることながら、エヴァリー・ブラザーズのヒット曲3曲をカバーしている点に注目したいと思う。 ![]() (しばらく休憩の後たぶん)つづく ■
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by tsukimoto_natsumi
| 2007-05-16 20:16
| Music
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Comments(1)
2007年 05月 15日
承前
1966年__________________________☆ 65年から開始されたワールドツアーは、66年にも繰り返されていた。 ![]() オリジナルのアナログ・レコードは、ロックアルバムとしては初の2枚組(CDでは1枚に全曲が収録)。 あの「アイ・ウォント・ユウ」が入っている!おお「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」が「アブソリュートリー・スイート・マリー」も、そして2枚目の最後は一面全部を使って繰り広げられる「ローランドの悲しい目の乙女」! 私は、このアルバムの中味も大好きだが、この見開きジャケットが、このカヴァーのディランが大好きなのである。 正直言って、このアルバム・ジャケットを語るうまい言葉を私は持てない。 これまでのアルバムで見たような(とくに65年の2枚の)ギラギラした不敵な表情を向けるディランにはけっしてない、なんだか透明感とも言えるようなもので満たされている。 コートとマフラー姿のディランに冬の空気がひんやりとまとわりついている。北風が少しは吹いているのかもしれない。そうした空気の中に、孤独な気配をしのばせながら、ポッケに片手を突っこんで佇んでいるディラン。 彼は、いったいどこを見ているのかわからない。けれど、この凛とした表情がなんともいいのだ。これは、ディランであって、ディランでしかない「顔」である。 ![]() 一枚目はギター一本とハープ一丁の以前の弾き語りスタイル。そして二枚目から、(その後のザ・バンド、ドラムスだけがミッキー・ジョーンズ)ホークスを率いての疾走するロック・サイドとなる。 「やせっぽちのバラッド」が終わり「ライク・ア・ローリングストーン」がはじまる瞬間が、なんと言っても聴きどころである。観客から「ユダ!(この裏切り者!)」と罵声が飛び歓声が舞う。 ディランは「I don't believe you お前なんて、信じないぜ」と答える。まだどこか余裕を残す雰囲気。が、ディランはこの後すぐに「You're a LIAR(この嘘つき野郎!」と罵り返す。この瞬間の息をのむ緊張感。「Play it fuckin' Loud!(でかい音でやろうぜ!)」と畳み掛け、怒濤のように「ライク・ア・ローリングストーン」がはじまるのだ。 私は、ジェリー・シャッツバーグが撮ったこのジャケットのディランの顔も大好きである。あまり、レコード・カヴァーでは見せてはこなかった等身大というか、このとき25歳という実年齢を感じさせる素直な表情がとてもすばらしいと思う。 66年 7月29日、ディランは、ニューヨーク州ウッドストック付近でモーターバイク事故を起こし重傷を負う。こうして、すべてのスケジュールをキャンセルし、ディランは、しばらく人々の前から姿を消す。 つづく ■
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by tsukimoto_natsumi
| 2007-05-15 15:47
| Music
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2007年 05月 14日
(承前)
1964年 プロテスタントというレッテルに早くも反発したのだろうか。 ![]() だが、こうしたラブ・ソングを歌う姿こそ、じつはディランらしいとも言えるのだが。 女々しさ、卑屈さ、狡猾さ、皮肉それこそが男らしいディランのラブソングなのである。 そしてこれは、さらに「新しい顔」を手に入れようとする予感に溢れたアルバムでもある。 同年8月28日ディラン、アメリカツアー中のザ・ビートルズを訪ねる。 1965年____________★ ![]() 「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」「ミスター・タンブリン・マン」を含む65年のこのアルバムから、ディランはロックという「顔」をたやすく手に入れる。まわりの反応などお構いなしに「よし、エレキで行こうぜぃ!」(と言ったかどうかは知らないが)でっかい音でやるロック・バンドの演奏スタイルにディランは変わった。 7月には、ポール・バターフィールド・バンドをバックにニューポート・フォーク・フェスティヴァル出演。 ジャケットも、後ろにいる赤いドレスの女性も含めしたたかな「ロックの顔」である。 ![]() このジャケットのディランの「顔」をぜひ見てほしい。 この傲慢さを湛えたみなぎる自信。ロックと呼ぶにふさわしい、ふてぶてしい面(つら)。 「悲しみは果てしなく」吹きすさぶ音の固まりとなって「ライク・ア・ローリング・ストーン」、 そう、転がる。 ロックはライク・ア・ローリング・ストーンてなもんである。 やあ、すばらしい!!(アル・クーパーのオルガン・サウンドもすばらしい!) まだ、デビューから3年しか経っていない。 11月22日、ディラン、サラ・サウンズと結婚。 つづく ■
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by tsukimoto_natsumi
| 2007-05-14 20:01
| Music
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2007年 05月 13日
男の顔は履歴書であると思う。1941年生まれの、この男がこれまで発表してきた44枚という数のアルバムを眺めるたびに、まさしくそう思うのだ。
![]() 大学を中退してニューヨークに出てきた彼は、アメリカを代表するフォーク・シンガー、ウディ・ガスリーと出会う。そうして、発売されたファースト・アルバムが1962年の『ボブ・ディラン』である。アルバムに収められたディランの自作曲は「ニューヨークを語る」と「ウッディに捧げる歌」の2曲。ジャケットのディランは、これからの成功を手に掴もうとするふてぶてしい「野心」と、まだまだあどけない少年のような「初々しい」ふたつの「顔」を見せている。 この年、ディランはロバート・アレン・ジンママンという生を受けた時にもらった名前から、ボブ・ディランに正式に改名している。このとき、正式にボブ・ディランはボブ・ディランになった。 ![]() ただ、ニューヨークの街をスージー・ロトロと歩く彼の顔には、恋人と並んで歩く、はにかみの表情が窺われ、どこか微笑ましい気配がまだ残っている。 ![]() そのアルバム・タイトルそのままに、時代は大きく変わりつつあった。 曲は「時代は変る」に代表される時代を変える圧倒的に強いプロテスト・チューンで占められ、ディランの声も、絞り出すような例の嗄れた声と唄い方に変わった。 そうして「顔」までも、このように変貌したのである。「プロテスタントの顔」。 時代と添い寝をはじめた「顔は変る」とでも言うように… つづく ■
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by tsukimoto_natsumi
| 2007-05-13 09:28
| Music
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