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2005年 03月 16日
5年ほど前、家が近所だったので時折ホワチョんちに仕事の帰り道なんかに行った。世の中の男というものは、多かれ少なかれ物(オブジェ)マニアである。つまりその物の構造がもたらす機能やデザインに惹かれ、挙句はとり付かれたようにああでもない、こうでもない、そうかなるほど!と探求や研究対象としてしまうのだ。彼のmixiのページを見ていただければ、すぐにそのことがわかると思う。でもって、この世界に存在する三つの偉大なマッキントッシュがあるとすれば、ひとつはその中でもっとも新しいパソコンのAppleのMacintoshであり(やはりフロッグデザインが良いよね)。
![]() ![]() もうひとつは現代モダンの先駆けともなったあのスタイリッシュな椅子のマッキントッシュ。 そしてもうひとつ、石田ゆり子さんも愛用しているあのオーディオのマッキントッシュである。 パソコンなど、今では敷居がやたら低くなったので、いくらはまろうと、業務用にでも使わない限り(今では使ったとしても)その金額はたかが知れてる。しかし、オーディオの世界はいまだに真空管が健在の世界だけあって、どこかオカルティックな側面さえ持つ、一度はまったら底なしの地獄面がある。かく言う私も、ここのもう一人の紹介者Kouさんの「オーディオの電源ケーブルを変えるだけで、音はこんなに良くなる」という検証実験に呼び出され、翌週には一本1m数万円もする電源ケーブルを買いに走っていた。かくして我が家の「なぜ、こうも音が貧弱なのか?」と首をずっと傾げていたAuraのアンプは急に伸び伸びと鳴り、事務所のLYNNのアンプとスピーカーは、そのナチュラルな響きにますます磨きがかかったのであった。そんな経験を獲た後のホワチョんち体験である。そこで彼はサウンド&レコーディングという雑誌(の主に広告面)を俺に見せてくれ、いかに音楽制作がPCとともに変化してきてるかを教えてくれ、16ビット48KHzあるいは24ビット96KHzというが、実際どこまで人間の可聴範囲はあるのかという実験を、実際にその限界音を、音を鳴らし聴きながら探ったりして、彼も大変なスキモノであった。しかし、その時さまざまな音楽機材がここまで安くなろうとは思っていなかった。反面、いまだに超高級オーディオの深い魔界もまだまだ健在なわけで、音楽の世界は100円ショップのような使い捨てチープネスと銀座の高級バーや謎の料亭のような一元さんはお断りの世界が共存する魔境と化し、中国製の恐ろしさとは、その二つをすでに手玉にとっていることである。ある日のこと散歩がてら我が子の手を引きながら、ホワチョんちに立ち寄ると、そこには、まさに引越し準備を終えた空っぽになった部屋で最後の整理をする彼の姿があった。そして、その一抹の寂しさからか、その時手を引いていた一歳児だった我が子の手の柔らかい感触が、まだ残ったままのだ
2004年 09月 07日
![]() シネマプラセット時代の話を少し逸らし、Macintoshのことをたまには、書いておきたい。80年代半ば、私がはじめて手にした映像用のコンピュータは、音楽方面では有名なオーストラリアのFairlight社の発売した8bitのFairlight CVIというものだった。この時期、ぼちぼちバブルがじょじょに膨らみはじめ、AV関係の機器がどっと出た。このCVIは、何というか映像のサンプリング、エフェクト、そして絵が描けるというもので、1台200万円くらいしたと思う。その時、オーストラリアから、ピーター・カラスというビデオ・アーティストが東京に滞在していて、彼がCVIのエバンジェリストみたいなものだった。日本では、パナソニックが販売を担当し、ビデオ・アーティストや映像作家、あるいは学校に売って回っていた。このマシンは、筑波万博でジャンボトロンを使ってRADICAL TVがおこなった浅田彰企画のイベントで使っていたものと言えば、何となくわかる人もいるかもしれない。(しかしマニアックな個人では買えないものには違いない)私がいた会社でも、まず1台購入して、そのうち2台目も買った。そのピーターが、私のいたスタジオを使って、自分の作品をつくっていたものだから、すっかりこのCVIのとりこになり、トラックパッドとスライダーでメニュー操作をしながら、リアルタイムに映像をつくることの妙味から、自分の作品というものをつくり出したのがこの時期。当時FUJI AV Festivalというイベントが定期的に都内のあちこちの場所(芝浦・六本木インクスティック、ラ・フォーレなどピテカンでもあったかな?)で開かれていた。内容は、要するに、ミュージシャンとビデオ・アーティストの即席ユニットでするビジュアル・ライブで、当時はプロジェクターはまだまだ投影力に乏しく、映像装置はブラウン管モニター、つまりSONYのプロフィールを何台も積み上げ、そこにさまざまな映像が流れる。ただこのSONYのプロフィールという真四角なモニターはとてつもなく重い!仕込みも自分たちでやっていた時代だから、若かったからできたのだ。今では当たり前のこうした光景も当時はじめて形になったのだと思う。このCVIを使ってわたしがはじめてつくった作品が左にある『水玉アワー』という8分くらいの作品で、これにより賞なぞ頂いたものだから、とりあえずわたしはビデオ・アーティストの仲間入りをした。それから90年代初めまで、いったい何本くらいの作品をつくったか、もう忘れた。 ![]() でも、Macintoshが映像で本格的に使えるようになる90年代初めまで、わたしは、このCVIを使い、まわりからはCVI使いとまで言われたりもした。が、しょせん8bitの専用PCだから、緻密なことはできない。仕事では、そのような作業は、結局英クォンテル社のハリーやヘンリー(今で言うところのDiscreetのインフェルのみたいなもの)の、何度ピンポンしても品質劣化がないハードディスク・レコーディングでやるようになる。 これには、多額なスタジオ代がかかる。でも、そんな仕事ができていたのだから、やはりバブルだったのだろう。しかし、この作業の盲点は、演出家がひどくスタジオ内でヒマなことだ。オペレーターに何か指示でも出そうものなら、そのままオペレーターはキイボードに向かって、ちょこちょこ作業を何度も何度も繰り返す。それで、10秒間くらいつくるのに何時間もかかってしまうわけだ。もちろん、プロデューサーやクライアントさえ、辟易するするくらいに退屈な時間、しかしそれがあがらないことことには、帰ることができない。時には、それで朝を迎える。わたしなど、六本木の某ポストプロダクションに2部屋同時に借りて、1週間立て篭もったことさえある。最後は、オペレーターも卓に突っ伏すように寝ていた。それでもって、オペレーターが下手だとこの手の仕事は最悪な局面になる。PCコントロールの知識と映像センスの良さと効率的な追求をおこなえないオペレーターに何を言ってもムダなのだ。自分がプランし、コンテを描いた絵に、数時間待たされて「こうですか?」と見せられた映像があまりにも無惨だったとき、「ううう、(違う!)」とはすぐに言えないのである。そのころ米COSAからAFTER EFFECTSという画期的Mac用のソフトが出現し、次期それがADOBEから出るようになり、やがて、わたしは外のポスプロを使わなくなる。最初は、下手なオペレーターと高いスタジオ代から解放され、うれしさいっぱいの日々であった。やっと90年代半ばそんな時代になった。右は、93年のノンリニア作品『Forest』。
2004年 08月 06日
はじめてのMacは、会社で買った3台のMac(ⅡciとカラーClassic)のなかから、カラー・classicがあてがわれたが、まぁワープロ代わりくらいにしか使ってなかった。漢字Talkはいったいいくつだったのかも、もう忘れた。Hyper Talkとこれからの可能性としてQuickTimeが注目され、Macでコンピュータ・グラフィクスが作れる時代がまもなくやってくるということで、会社で買ったんだと思う。(今考えるとウソみたいだが)これが1987年くらいの話である。
さて、自分でMacを買ったのは、それから数年して、やっとビデオ編集ができる可能性が高まってきた91年くらいだと思う。まだPower Macではない。当時の最高峰、Quadora950を、最高の64MBメモリーを乗せ、RadiusのVideo Vision StudioをNU BUSに差し、モニターは17インチのナナオである。これで、しめて350万円した。当時を知るユーザーだったら、懐かしくも悲しく切ないMac導入物語である。つまり、けっこうな新車を買ったのと同じ気分で、買ったばかりの時は、徹夜も平気であちこちをいじくり倒し、時に動かなくもしたりした。しかし、これでビデオができるというものではない。FireWire DVなど生まれるずっと以前の話である。 いろいろ、調べるうちにMacでビデオをするには、まずレイド・システムを組まなければならないというのがわかった。 レイド?うーん90年初頭でもまだまだ道のりは険しいことがわかった。
2004年 07月 28日
2003/10/16(Thu)記す
仕事場のPCが、家から持ち込んでいたPower Book G3からPowerMac G4の1G Dualに代わった。これは、G5の新規購入にともなってこれまで編集に使っていたG4をお下がりとして自分のデスク用に使わせてもらえることになったためだ。 思うに、いったいこれまでわたしは何台のAppple Computerを使ってきたことか。 一番最初に、手にしたコンピュータは音楽業界では有名なFairlight社のFairlight CVIという映像専用のものであったが、これはどちらかというと、一種のエフェクターに近いものでPCとは言えなかった。1986年のことだ。翌年に会社で3台のPCを購入。すべてAppleだった。このころまだWindowsというOSは世の中になく、まだMS DOSかNECの時代である。しかも、グラフィックを扱うならMacというのが、まだ当然のこと。この時から、ずっとAppleで過ごしてきたので、Macintoshが、今のようにマイナーなPCになっても、そのアプリと資産をAppleで貯めこんできた人間にとって、しかもそれを業務用で使っていたわたしにとっては(途中かたわらでWinも使用してきたが)、もはやAppleから逃れる術はないも同然なのだ。 こと業務用と部分に関しては、いったい何千万円このAppleとその周辺機器(編集用ボード、アクセラレーション・カード、レンダリング・エンジン、レイドシステム、DVD制作システム、編集機器など)にこれまで費やしたかわからない。 その間、PCの値段は日々暴落。 PCの性能も飛躍的に向上した(と言われる)。 が、最近のAppleのマシンとそのプリ用と言われるアプリを使って思うことは、確実にさまざまなことができるようになった反面、レスポンスや処理が遅く、ストレスを抱え込まないと、やっていられないような代物になってしまった、というのが正直な印象である。 プロ指向のアマチュアなら、まだしも、プロにとっては、とてもじゃないけどいただけないのだ。 これなら、数百万以上をかけて構築していた数年前の自分のPCの方が、よほどストレスなく速く動く。ディレクターにとって、すばやくその映像のタイミングや音の呼吸を処理できないことは、異常なストレスや感覚の低下につながり命取りにもなりかねない。昔のシステムのほとんどは新しいOSに未対応か、アップグレードに数十万以上を必要とする。 ここ2年ほど、わたしはAppleをある意味、見限ってしまった。 Appleが××Proとか呼ぶ、アプリを出せば出すほどに、プロは、それに業を煮やし、遠ざかっていく気がする。 まあ、いまだにApppleを使用し、それなりの恩恵を少しでも受けているなら、ここでわたしは、押し黙るしかない。 < 前のページ次のページ >
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