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2009年 12月 13日
「天使の誘惑」黛ジュン
(作詞:なかにし礼 作曲:鈴木邦彦・1968年) 好きなのにあの人はいない 話し相手は涙だけなの 幸せはオレンジ色の 雲の流れに流れて消えた 私の唇に人さし指で くちづけしてあきらめた人 ごめんなさいねあの日のことは 恋の意味さえ知らずにいたの 黛ジュンの「この一曲」を選ぶのにおおいに迷ってしまった。衝撃のデビュー曲「恋のハレルヤ」(67年)か、スプートニクス風の北欧エレキ・サウンド「霧のかなたに」(67年)か。それともサビ優先イントロがすこぶる魅力的な「乙女の祈り」(68年)か、「夕月」(68年)は脇にさておき、後年評価の高い「雲にのりたい」(69年)か迷いに迷って、けっきょく68年の第10回レコード大賞を受賞した「天使の誘惑」に落ち着いた。それほど黛ジュンの歌謡界への登場はインパクトがあり、彼女の出現によって歌謡曲がじっさい変わってしまったからだ。 時代のすべてが渡辺順子から黛ジュンへの再デビューに寄与した。それは詞・曲・編曲の三位一体のもたらした結果と言ってしまえば簡単だが、それ以上にレコード会社、それに関わったディレクターなど、まさに60年代後半の時代や状況のすべてが大きく黛ジュンのもたらした歌謡曲改革に折良く寄与したのだ。サウンド面の最大の特徴は、歌謡曲へのロック・コンボ風アレンジ(エレキサウンド)のダイレクトな導入である。歌謡曲は黛ジュンの登場によって、やっと本格的和製ポップスあるいは歌謡ポップスという領域を獲得したのである。 黛ジュン以降、歌謡界は次々といしだあゆみ、奥村チヨといった和製ポップス・シンガーたちを百花繚乱のごとく輩出した。それはあたかも白黒テレビがカラーテレビに変わったがごとき眼にもまばゆいカラフルな様相だった。 まずレコード会社と担当ディレクターがよかった。会社は東芝音楽工業、ディレクターは例の「ビートルズを日本で売った男」高嶋弘之。東芝が日本コロムビアや日本ビクター、テイチクなど老舗のレコード会社でなかったこともラッキーだった。当時全盛だったGSブームの煽りも受けて、歌謡界はじょじょにレコード会社専属作家ではない新進のフリーの作家たちに眼を向けはじめていたのである。日本の歌謡界に大きな変革をもたらす作家たちがこの群雄割拠の時期に次々とデビューできたのである。「恋のハレルヤ」から、この「天使の誘惑」と初期の黛ジュンの代表作を書いたなかにし礼は『翔べ!わが想いよ』(新潮文庫)のなかで、デビューしたての頃のこの辺の事情をうまく説明している。 ☆ 黛ジュンの歌った『恋のハレルヤ』は発売と同時に爆発的なヒットとなった。テレビ、ラジオは勿論、ジュークボックスもひっきりなしに「ハレルヤァ」と歌っていた。昭和四十二年のことだ。 (中略) 私は丁度、幸運な歴史のかわり目にいたのだ。 日本の音楽界にもアメリカ、ヨーロッパスタイルの音楽出版社というものが出来て、彼らがレコード会社の文芸部と競って作品づくりを始めた。既成の音楽作家は当然、どこかのレコード会社の専属である。そこで出版社は仕方なく(?)私たちのような若い作家を起用することになった。 岩谷時子、安井かずみ、橋本淳、宮川泰、すぎやまこういち、鈴木邦彦、そして私などが出て来た背景にはそういった製作現場での変革があったのだ。 ☆ このように作家専属制をとっていたレコード会社の慣習は崩れ、レコード制作のシステムは確実に変化していたのである。しかし、この頃の黛ジュンには、出せば大きな話題を呼んだに間違いのない残念なカヴァー曲がある。それは美空ひばりの「真赤な太陽」(作詞:吉岡治 作曲:原信夫・1967年)である。「恋のハレルヤ」「霧のかなたに」のヒットを収めたコンパクトLPの中の一曲として企画されレコーディングまで行われたが、けっきょくひばり母子と日本コロンビアの強力な抵抗にあい発売中止の憂き目に会ってしまうことになる。担当ディレクターの高嶋弘之はこう述懐する。(Yahooセカンドライフ、コラム「世界に1枚、ベスト・オブ・ビートルズと幻の名盤2枚」から) ☆ 当時日本の歌謡界では、著作権の問題も含めて、「人のヒット曲には手を出さない」という不文律がありましたが、洋楽の担当者にとっては、ヒット曲はすぐにカバーするのは当たり前の事。それに「真赤な太陽」は黛ジュンのために生まれてきたような和製ポップスそのもの。 しかも作曲は人気サックス奏者、原信夫で、著作権的にコロムビア・レコードの専属ではなかったのです。私はただちに黛ジュンで録音し、コンパクト・ディスク(4曲入りシングル)での発売を企画しました。美空ひばり所属のコロムビアでは大問題となり、ついに東芝は、金銭的な解決でもって、「黛ジュン/真赤な太陽」は発売中止、私にとっての幻の名盤その3となりました。 ☆ 黛ジュンの「真赤な太陽」は美空ひばり死後から5年経った1994年、シングルCDとしてやっと発売された。 60年代後半、海外ではビートルズが音楽の世界に革命をもたらしたように、日本の歌謡界でも着実に革命は起きていた。ここで書いたような事実として小学校5・6年生の僕は受けとめてはいなかったけれど、街角の至るところに流れる音楽の詞とメロディとビートから、そのことを肌で感じていたのである。それは、中学に入りラジオで深夜放送を聴きはじめ、海外のポップスからロック浸りになるほんの1・2年前のできごとだった。
by tsukimoto_natsumi
| 2009-12-13 12:27
| Music
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Comments(4)
Commented
by
(Y)
at 2009-12-14 11:04
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こっそりトラック・バックさせて頂きました(笑)。確かに1967〜68年は歌謡曲が大きく変わった年ですね。GSサウンドを積極的に取り入れたことが、後年の歌謡曲の発展に大きく関わったことは想像に難くないです。ところで本当に当時黛ジュンで「真っ赤な太陽」が出ていたらどうだったでしょうね? 美空ひばりのそれは、GSサウンドと言うにはあまりにもビートが重く、それがかえって独特のグルーブになっていますが、黛ジュンだとどうなるのかなあ?
0
昨日の朝まで気がつきませんでした(笑)。
この時期さまざまな作家が登場して、歌謡曲を大きく変えてしまったという印象ですよね。個人的には70年代はそんなに熱心に歌謡曲を聴かなかったので、この時期の歌がとても焼き付いているんですよ。 黛ジュン版「真赤な太陽」はよくできてますよね。ただ、シングルにならなかったでしょうから、けっきょく幻の名曲になっていた可能性は高いですね。
Commented
by
(Y)
at 2009-12-31 02:10
x
月本様
今年ももう少しで終わろうとしています。一年の締めくくりに何を聴こうかと考えて、Creamの「Good-bye」をA面から通しで聴いています。来年はハードな一年になりそうなので、これぐらいピッタリなレコードはないかと(笑)。ということで、今年はいろいろとお世話になりました。特になつの小唄・音頭祭りは楽しかったですね。またコラボ企画致しましょう。それでは良いお年をお迎え下さいませ!
(Y)様
今年はいろいろと遊んでいただき。こちらこそほんとうにありがとうございます。 束の間の休みではありますが、どうぞごゆっくりご静養下さい。 また来年はお互いにいい年でありますよう。 よい年をお迎え下さいませ。
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