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2004年 08月 15日
1980年、ぼくは大学を卒業して2年になるというのに、どこにも就職していなかった。もちろん、そんなに真剣に就職活動などしなかったので当たり前か?卒業するとすぐに、友人が六本木にその頃流行りだったカフェバーを(その友人の彼女が)オープンするので、その店の昼間の部を手伝って欲しいと頼まれ、そのままその仕事に就いたわけだが、まぁ体のいいバイトである。夜の営業がメインとなるが、昼もランチを出すので、夕方まで店を任されたわけだ。しかし、ぼくにはどうもこの手の仕事は水にあわない。次の仕事が見つかったら、とっととやめようとしていた。
高校時代、大学時代と漠然と考えていた仕事は、やはりマスコミ関係、映画関係、そして音楽関係である。ただし、ミュージシャンへの憧れは、大学時代に見事絶たれた。と言うのも、在学中参加していた音楽サークル「現代音楽研究会」(と言ってもロックをやっているヤツらの集まりだったわけだが…)には、凄腕、めちゃテクの連中がかなり多く、その頃からプロ活動をしていた友人もいたし、名前を言えば、ご存じの方々も多く、同年代の仲間の多くは、プロの道へ、生活的には苦しいながら進んで行き、ぼくはその中で、プロはあきらめるという挫折をすでにじゅうぶん味わっていた。 かくして、1980年のぼくは「水商売」からその当時の「映画好き」「音楽好き」の必須アイテム「ぴあ」(その当時はまだ水道橋の4階建てくらいの羊屋ビルにあった)のアルバイトとして働くようになっていた。 最初に担当したのがぴあ年鑑の編集セクション、隣の部屋では、「キャプテン」という情報システムを開発する部署だったが、両方とも幻の企画に終わった。 その間、ぴあはPFFなどを意気盛んに開催などして、日の出の勢い。年鑑部の解散後、ぼくは「映画の街角」班に廻された。この仕事は、東京圏すべての映画館に電話をして、その発売週の上映タイトルを聞き、それを映画年鑑などで正確なタイトル(題名に・<中黒>が付くとか、サブタイトルとか)や監督、出演者を調べ、手書き原稿にして、写植屋さんに行って、版下を仕上げてもらい、名画座の番組やポルノ映画館の番組なんて、直前に変わったりするので、それをカッターと糊で切り貼りし、班の担当社員に確認してもらい、その週の仕事が終わり、そのローテーションを繰り返す日々。その中で、社員のIさんに映画会社に入る口を探してもらっていた。 その結果、ぴあの2年間くらいのバイトを終え、転がり込んだのが、当時、鈴木清順監督の復活作『ツゴイネルワイゼン』で話題になっていたシネマ・プラセットで、ちょうど次作の『陽炎座』を撮り終わらんとする時期のことである。 この話をすると、長い長い80年代の話がはじまるので、盆休みの最中でもあるので、続きは、また今度… これは、シネマ・プラセットのエアドーム移動映画館が東京タワーから吉祥寺PARCOの屋上に移ったときの写真である。
by tsukimoto_natsumi
| 2004-08-15 20:50
| 80年代日誌
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