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2009年 02月 12日
深夜放送に熱中していたのは、おもに中学生だった三年間のことだ。
時代的にいうと、1969年から71年までである。 深夜放送への入門は、先日すこし書いた『深夜放送がボクらの先生だった』の著者、村野まさよし氏同様「オールナイトニッポン」であり、僕が最初に夢中になったパーソナリティもやはり今仁哲夫さんだったのだ。 「オールナイトニッポン」草創期、その頃のパーソナリティをオールナイトニッポンの歴史(パーソナリティ年表)から抜き出しておこう。 1969年の編成である。月曜:糸居五郎、火曜:斎藤安弘、水曜:高岡寮一郎、木曜:高島秀武、金曜:梶幹雄(10月から元木曜日担当だった今仁哲夫にチェンジ)、土曜:高崎一郎(10月から亀渕昭信が初登場)。大阪万博があった70年の春には、水曜が高島秀武、木曜は天井邦夫に代わり、翌71年にはこの不動・鉄板の体制でオールナイトニッポンの人気はピークに達した。 当時「今仁哲夫のオールナイトニッポン」には週一万通(!)ほどのリクエストハガキが届いていたというから、今仁哲夫の人気のほどがうかがえよう。 そのくらい哲ちゃんのおしゃべりは軽快・愉快で、かける音楽そっちのけで私たちを夢中にさせ、笑わせたのだった。とにかくプライベートな話題まで番組に織り交ぜたトークが楽しい。「バチバチケッケ、ハイ!春日部団地から国産ムスタングでやって来た哲ちゃんですよ〜」 そう、その頃はハガキ職人なんて存在もなかったので、リスナーたちはなるべく目立つようなカラフルなイラストや気の利いたコメントを添えてせっせとリクエストハガキを送っていたのである。そうしているうちに、番組にご常連さんという人たちが登場してくる。この本にも書かれているが「筑波のガマ親分」とか「衣笠山のタヌキ親父」「豊年満作君」「花岡ジッタ君」といった人たちだ。(ああ、何度となく私もよく耳にしたなつかしい名前だ!)今ならラジオネームとでも言うのだろうが、当時はそんな言葉もなかった。 やがて、著者の村野さんのリクエストハガキが読まれる記念すべき光栄ある日が訪れる。昭和四十三年(1968年)九月五日第一木曜日の深夜のことだ。 「はいッ、次は中野区新井一丁目の村野雅義君ですね。十四歳、中学二年生ですね」リクエストした曲は、寺内タケシとバニーズの『ワールド・ボーイ』。ナショナルのトランジスタラジオ「ワールド・ボーイ」のCMソングである。初めて読まれるリクエストハガキ、初めて読まれた名前。どれほど村野少年は電気が身体中に走るように痺れ感激したことだろう。その時の感動をそのまま長年に渡って引きずった思いが、本全体からひしひしと伝わってくる。これは、そうした深夜放送への想い出を鮮烈な記憶としてずっと持ち続け、やがてはそのラジオ業界の仕事に関わるようになってしまった人のみが書ける本なのである。 この本から「ああ、そうだったよね!」と思いだしたエピソードをひとつだけ書き出しておこう。 今仁の哲ちゃんは、火曜日担当の斎藤安弘(アンコー)さんと毎週のように、あるいじましい話題で「僕の方がこんなに熱心だもんね」と競い合っていた。二人が競い合っていたテーマは新人女優、内藤洋子さんへのイレコミ度合いだった。哲ちゃんとアンコーさんが毎週競い合うようにかけていたのが内藤洋子さんの『白馬のルンナ』という曲なのだった。こんな具合だから、はっきり言ってとても上手いとは思われないこの歌が、私の頭にもすっかり焼き付いてしまったものである。またこの曲もこうして深夜放送からうまれたヒット曲なのである。 付録のオールナイトニッポンLPの復刻CDは、当時聴いたことがなかったので、ほんとうにうれしい感謝すべき(懐かしの)オマケだった。とくに「カメカメ合唱団」(と言っても亀渕昭信氏の多重録音)の『今日は哲っちゃん誕生日』(原曲はレスリー・ゴアの“It's My Party”)がスペシャルだった。
by tsukimoto_natsumi
| 2009-02-12 09:32
| ラジオ
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Comments(7)
お久しぶりです。
私も少し前に、村野まさよし『深夜放送がボクらの先生だった』(有楽出版社、2008年)を読んだのですが、著者と「今仁の哲ちゃん」との関係に次第に生じる歪みと確執——本当の話だとしたら、私にはちょっと理不尽に思えたのですが、どうですか? 常連ハガキ職人だった著者と、同じく常連の「獨協学園ドイツ語クラス杉並区桃井三丁目松宮一彦」とのライヴァル関係の話なども、深夜放送が青春のただ中にあった時代の雰囲気を感じました。 松宮アナがなくなった翌日の早朝、生島ヒロシ氏が「どうして一言連絡くれなかったんだ」と泣いておられたのを想い出しました。
0
たしかに今仁さんとの関係も、熱がこもっている部分、かなり誇張したり、大げさに書いてある部分もあると思います。
あれだけ、当時のパーソナリティやTBSの桝井論平さんまで取材インタビューまでして、二十数年間も関係が切れてしまっている今仁さんには、何の連絡も入れなかったんだろうか? ただ、僕にはこの本は「愛憎」と「確執」の二十数年ぶりのリクエストハガキ、あるいはラブレターのように思えてなりません。 松宮一彦さんとのエピソードは泣けますよね。
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nyoirin at 2009-02-14 16:39
ご無沙汰しています。
ついに、月本さんのお歳が判明いたしました。私の中学時代は、70年〜72年だったはずなので、一つ?か二つか、お兄さんでいらっしゃったのですね。以前に、喫煙歴60年とかこのブログにお書きだったことがあったので、密かに「ええ〜?!だとすると、少なくとも70代でいらっしゃるのだろうか?でも、そこまで年上には思えない…」と、思っていたところでした。(^_^) 私は、パック・イン・ミュージック派でした。必ず聴いていたのは、金曜深夜の山本コータローです。『岬めぐり』が大ヒットしていた頃で、『板さんの決定ー!』のコーナーとか、大好きでした。
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tsukimoto_natsumi at 2009-02-14 21:00
nyoirinさん、こちらこそごぶさたです。
あれ?年齢は隠していたつもりはなかったんですけど…まあ、アラフィフでございます。喫煙歴60年なんて書きましたでしょうか?70代と思われていた!? 最近では、若く観られるより、どちらかと言えば、それくらい年寄りだと思われてもかまわないかなという気もします。 おお、パック・イン派でしたか。僕は、パック・インやセイ・ヤングを聞き比べ、やっぱ「オーツナイトニッポン」に落ち着いたんですよね。
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月本夏海
at 2009-12-06 10:44
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あのう僕はミクシィには加入していないので、なんのことやらさっぱりわかりかねます。
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tsukimoto_natsumi at 2009-12-06 10:58
天井邦夫さん、お亡くなりになっていたんですね。
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