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2007年 07月 21日
はじめて彼女と出逢ったとき、彼女はまだ獨協大学の文学部の学生だった。
その時、どんな本をいま読んでいるのと聞いたら、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』です、と応えたのでずいぶんと驚いたものだ。彼女の名前は甲田益也子さんという。 1980年、水道橋の羊屋ビルにあったとある情報誌の「映画の街角」班で、アルバイトをしていて、その班にいたKが映画を自主制作でつくるというので、私もその製作役としてスタッフのひとりになった。用意された書きかけの台本をもとに、最初の打ち合わせを行ったときに、誰が出るのかと監督役のKに聞いたら、男優にはSさん(今でも俳優・監督として活躍しておられるので名前はイニシアルのみにする)、女優は、彼の北海道時代の高校の同級生で、資生堂の雑誌「花椿」の表紙にもなっている女性だという。それから、キャスト・スタッフ顔を揃えての新宿の滝沢かなんかでの打ち合わせの後の雑談時に、たぶん甲田さんに、冒頭のような質問をしたんじゃないかと思う。 その8mm映画は、埼玉の森林公園で一回のロケを行っただけで、頓挫してしまった。Kと同棲していた彼女が、甲田さんに嫉妬してしまったことが大きな原因だと記憶している。 それからしばらくして、ボクは甲田益也子さんをボーカルに仕立てたお遊びのバンドを結成した。ボクがギターで、ベースは、やはりその情報誌の「映画の街角」班に新しくバイトで入ったばかりの木村くんにお願いした。ドラムの人選に難航したため、途中から、ドラムはリズム・ボックスにした記憶がある。曲は全部、当時自分の好きだった曲のカバーにした。まだユーリズミックスになる前のアニー・レノックスが在籍していたザ・ツーリスツの"I Only Wanna Be with You”(本歌はダスティ・スプリングフィールドで、ベイシティ・ローラーズもヒットさせた曲)、バット・ベネター『ハート・ブレーカー』、そしてその頃のもっともお気に入りだったブロンディーの『ハート・オブ・グラス』 や『サンデイ・ガール』(あれ『ドリーミング』だったかな?)で、けっきょく練習を何回かしたままで、そのままになってしまった。 というのも翌年の81年には、私はシネマ・プラセットという、80年に鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』という映画をつくって話題になった会社に入ってしまい、とても音楽を続けるどころではなくなってしまったからだ。 ところが、その時のバンドのベースの木村くんと甲田さんは、そのまま音楽を続けていて、dip in the poolというユニットで、当時流行っていたクレプスキュールや4ADなんかの影響を受けたオリジナル音楽を作りはじめていた。そして、甲田さんも、雑誌an・anのレギュラー・モデルなどで、今で言うところのカリスマ・モデルになっていた。その彼らのデモ・テープを受け取ったのは、シネマ・プラセットがもう倒産する直前か、ボクが、当時親しくしていただいていた山口小夜子さんのマネージャーだった本木昭子さんから紹介を受けてプラセット倒産後に入ったビデオ制作会社に入った頃のことだと思う。 そのデモ・テープを預かって以来、84年、次に誘われて入社したリング・ワールドまで、彼らがアルファ・ムーン・レコードからファースト・アルバムを出すきっかけになるお手伝いをした。 写真右は83年、日光にいっしょに出かけたとき(ごめん!無断使用)、左はdip in the pool (とりあえず、続きはそのうち再開予定)
by tsukimoto_natsumi
| 2007-07-21 20:12
| 80年代日誌
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Comments(2)
Commented
by
Pochi
at 2007-07-21 23:38
x
そうか〜dip in the poolの前に、一緒にやっていたとは知らなかったなぁ。
彼らは元気かな? 久しぶりに会ってみたいね。
0
Commented
by
tsukimoto_natsumi at 2007-07-21 23:59
まだまだ、Pochiさん知らないこと、話していないことたくさんあるんですよ。(笑)Salon Musicのこともそうだし…
彼らは、黒磯に行ってから、一度メールをもらったきりで、その後音信不通ですね。元気かなぁ?娘さん可愛かったですよ☆
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