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2007年 03月 03日
昨日は、久しぶりに梅ヶ丘の音楽スタジオに入った。
映像に音楽をつける音楽屋さんとして入ったわけである。 昨年から、映像につける音をつくりはじめていて、今回はその依頼を受けて梅ヶ丘のわたしが見つけたStudio Nに入った次第。個人的には、この音楽屋さんという仕事が気に入ってはいるのだが、わたしのことを知っている演出家には、多少やりづらいかもしれない。けど、下手に演出家なんて看板背負っているより、こっちの方がサバサバしていて、個人的にはいいんだが… 帰りに、美登利寿司で、合鴨のにぎりとめんたいこ巻を買って帰り食す。ふむ、これはたいへんおいしかった。 このところユーミンのデビュー当時のことを調べていると書いたが、よくわからないのは、彼女のセカンド・アルバム『ミスリム』に収められている『瞳を閉じて』という楽曲がうまれた由来。ネット上で調べる限りでは、長崎県五島市奈留町浦の奈留高校のサイトには ー昭和49年,当時在学中だった藤原あつみさんがラジオの深夜番組に「私たちの校歌を作ってください。」と投書しました。それに応えて荒井由実(松任谷由実)さんから,奈留島の海や山のイメージを詩に託した「瞳を閉じて」という曲が贈られたのです。ーという記述があり(これはこれで正しいと思うのだが)、別のサイトでは、このラジオの深夜番組が、ユーミンがDJをやっていた番組となっており、それに併せるように、Wikipediaやそのことを記すサイトでは、だいたいそのような書き方がされている。 わたしの記憶では、ニッポン放送の亀淵昭信氏がやっておれられた番組(「オールナイト・ニッポン」と記憶するのだが)に学校の校歌つくりますというコーナーがあり、この奈留高校の生徒からのリクエストに最初に応えたのは、加藤和彦氏だった。ところが、この学校の生徒から加藤さんのつくった歌では難しくて「唄いづらい」との投書があって、あらたに荒井由実に白羽の矢が立てられ、この『瞳を閉じて』が誕生したと記憶しているのだ。 無論、その後、この話は「NHKの新日本紀行」で奈留島の風物・生活とともに紹介され”幻の校歌”として反響を呼びました」ということだから、それなりの美談として、(加藤氏の名誉も踏まえ)すこし書き換えられたのかもしれない。 それに、1974年のこの段階では、亀淵氏のオールナイト・ニッポンもとっくに終了しているので、番組がカメちゃんのオールナイト・ニッポンというのは、わたしの記憶違いだろう。 この件、ご存じの方がいらっしゃたらぜひ教えていただきたいと思っている。 また、『やさしさに包まれたなら』が不二家のCMソング用につくられた楽曲であることは、以前にも書いたが、そのCMがわたしの記憶では「ノース・キャロライナ」と記憶していたのだが、やはりネットで調べると「ソフト・エクレア」のどうも間違いだったらしい。 しかし、どのサイトにも、そのCMに出演していたのが、バーニー・ラッツとティナ・ラッツの姉妹であることには言及されていない。あるサイトでは、そのCMがYou Tubeに載っているとあったので、見てみると、荒井由実の『やさしさに包まれたなら』もティナも登場しないものだった。 もはや、たかだか30年前のこういったことに、たどり着くのも難しいことを認識させられた。 ちなみに、わたしの荒井由実との初めての出会いは、その亀淵氏のオールナイト・ニッポンである。 ザ・タイガースを脱退した加橋かつみさんが、71年に発表したシングル『愛は突然に…』の作者として、亀淵氏が「荒井由実さんというとても才能のある人がつくったんですよ」とこの曲を紹介してかけたことは今でも、たいへん印象深く憶えているのだが、とうの亀淵さんは、どうなんだろうか? (写真下:1971年 5月 セブンティーン表紙 左下に<独占取材> 「愛は突然に」を発表した加橋かつみと作曲者荒井由実さん(高3)に芽生えた友情 という見出しがうかがえる) (『MISSLIM』1974 荒井由実 東芝EMI)
by tsukimoto_natsumi
| 2007-03-03 17:24
| 日記or備忘録
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Comments(6)
Commented
by
s_numabe at 2007-03-07 08:15
「やさしさに包まれたなら」は間違いなく「不二家ソフトエクレア」のCMソングでした。曲末に「ふーじや、そふとえくれあ~」というメロディが付加されたヴァージョンを繰り返し聴いた覚えがあり、今でも耳に残っているから間違いありません。ただ、小生が何度も聴いたのはラジオ用スポットCMなので、映像はナシ。
「瞳を閉じて」に関して、加藤和彦版NGのくだりは初耳でしたねえ。小生は74年春頃ユーミン(もうユーミンと名乗ってました)が林美雄さんの「パックインミュージック」に登場し、この曲の由来についてしゃべった際も、(もちろん)トノバンのことは出なかったなあ。何はともあれ、ラジオが媒介になって生まれた名曲であることは間違いなく、やがてこれが小学校の音楽教科書に載ったときも「当然だよなあ」と思ったのでした。
0
74年には、もう自分のことユーミンって呼んでたんですか、知りませんでした。今回の疑問のひとつに、いつからユーミン(と呼ぶようになった)か?というのもあって、『14番目の月』のカヴァーにはYumingって書かれているので、この頃かと思ってましたが、意外と早かったんですね。
これで安心して、荒井由実と松任谷由実を総称してユーミンと言えます。さすが、御大、助かります。
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by
s_numabe at 2007-03-08 01:19
おぼろげな記憶ですが、「中国女みたいに装いたくて、自分からYumingと名乗った」と本人から聞いたような気が…。ちなみに74年初夏に貰った直筆サインも「Yuming」「ゆうみん」と書かれています。
そうそう、シュガーベイブに「ユーミン」という曲(1974)がありましたっけ。録音は残っていないんですけど。
今回のベスト『SEASONS COLOURS -春夏撰曲集-』(3月6日発売)についに『ハルジョオン・ヒメジョオン』が入ったので、少しうれしくなりユーミン連打してしまいました。
シュガーベイブにもそんな曲あるんですね、これも知りませんでした。 松任谷時代の個人的Favorites『紅雀』から『OLIVE』(女王陛下の憂鬱時代)に行くにはまだ時間がかかりそうです。
Commented
by
MG
at 2007-03-15 19:11
x
「瞳を閉じて」についてはこちらに詳しく書かれています。
http://blog.livedoor.jp/kingcurtis/archives/50109808.html ユーミンのニックネームは彼女が追っかけをやってた中国人系ミュージシャンが名付け親だと聞いたことがあります。 デビュー前からなんじゃないでしょうか? 「コバルト・アワ-」のジャケットイラストの片隅にもYumingと書いてあったと思います。
MGさん、貴重な情報のご提供どうもありがとうございます。
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