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2006年 12月 14日
70年代にはいり、「新青年」から、さまざまな作家が次々と再発掘されていく光景は、なかなかスリリングなものだった。 あの林不忘が、ほかに谷譲次、牧逸馬と、三つのペンネームを使い分け、林不忘名義では『丹下左膳』などの時代小説を、谷譲次名では、あの「めりけんじゃっぷ」シリーズを、牧逸馬の筆名では、欧米の犯罪小説、怪奇小説の翻訳・翻案物や昭和初期の都市風俗小説を著し、女性読者層にも人気を博した。 まさに小説裸足の三つの顔を持つ謎の作家とは、本名を長谷川 海太郎という、かような作家のことだろう。 ほかにも、夢野久作や小栗虫太郎(『黒死館殺人事件』!)、大坪砂男、日影丈吉などさまざまな作家が、再認識・再浮上していった。 この再発掘ブームから、照らし出された作家の中に『顎十郎捕物帳』『昆虫図』『肌色の月』『母子像』で有名な久生 十蘭もいた。十蘭は、これらの作家の中では、わたしのもっともお気に入りの作家である。 わたしは、この人のノンシャランな文体をいつも真似したいと思っているのだが、なかなかできるものではない。だから、あこがれの作家で久生 十蘭はいつづけるのだと思う。 ちなみに、石川淳という大作家も、失礼ながら、わたしにはそんな作家の一人である。 新青年(しんせいねん) 新青年創刊号表紙1920年(大9)1月創刊。博文館刊行。戦後は江古田書房、文友館、博友社と移る。 押川春浪の「武侠世界」に押され、「冒険世界」を廃刊したあとの新雑誌企画に際して、森下雨村は総合雑誌を企画していたが、上司は純真な地方青年を対象とするように命じる。初期の新青年は青年修養談、海外渡航奨励記事が多かった。 読者を惹きつけるために創刊号にフリーマンの「オリシスの眼」の翻訳を掲載するなど、翻訳探偵小説を掲載したところ、若い世代に支持された。1920年(大9)8月には翻訳探偵小説で、「探偵小説傑作集」を増刊号として発行したが、恒例となり、1921年(大10)には新春と夏の二回、のちには年4回となり、通計43冊になった。これにより、「新青年」=「探偵小説」というイメージを与えることになる。もっとも喜ばれたのは、ビーストンであり、70編以上にも及ぶ。ちなみに増刊号を発行すると、編集者には特別ボーナスが支給されたので、喜んで発行していた。 創作は創刊号から募集していたが、十枚程度のものにすぎなかった。江戸川乱歩登場後、次々に新人作家が登場した。傾向としては、怪奇性、変態心理、悲哀や機知に富んだ作品が多かった。 1926年(大15)10月からは横溝正史が編集長に就任し、モダニズムとナンセンスで誌面を刷新する。探偵小説の特殊性を固持しようとする江戸川乱歩は変貌に衝撃を受けて、通俗長編に奔った。乱歩が新青年に帰ってきたのは、1928年(昭3)のことで、「陰獣」が掲載されるや、大評判となり、雑誌ながら三版まで印刷した。 1928年(昭3)10月に延原謙が、1929年(昭4)8月に水谷準が編集長に就任。近代的センスと風刺・ユーモアにあふれた誌面が特徴だったが、探偵小説からは少し離れた。 1938年(昭13)に上塚貞雄(乾信一郎)が編集長となったが、1939年(昭14)にふたたび水谷準が返り咲いた。戦後は横溝武夫(横溝正史の異母弟)が編集長となったが、通俗現代物だけを載せ、また、ライバル誌が排出したため、次第に探偵小説から遠ざかっていった。 1950年(昭25)には「抜き打ち座談会」を掲載し、探偵文壇を木々高太郎率いる文学派と、江戸川乱歩を総帥とする本格派に二分した。 発行所の博文館が解体のあとは、江古田書房、文友館、博友館と発行所の名義が転々となり、1950年(昭25)7月、休刊となった。最盛期の発行部数3万部。通計400冊。
by tsukimoto_natsumi
| 2006-12-14 15:20
| 本
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