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2005年 11月 21日
わたしの80年代日誌は、自分のブログに暇をみて、ほんの時々書き溜られているが、それはそれは長いstoryなので、まだまだ80年初頭の話のままだ。
というわけで、わたしはおよそ3年ほどを鈴木清順監督といっしょに仕事面でおつきあいをさせていただいた。その間、清順師を役者の方に向かわせ、小夜子さんやY'sの山本耀司さんなどおしゃれにまったく興味のない監督に会ってもらい、写真撮影を行ったり、対談をしてもらったりと気の向かないお願いが多かったのだから。唯一気軽に引き受けてもらったのは、役者業とその文章のうまさでは、かつてから定評のあるエッセイ依頼くらいなのだから。 あ、そうだ!もうひとつあった。週刊プレイボーイのカバーガールの水着コンテストの審査員をお願いしたとき、会場に行く途中はなんか渋々だったけど、審査中と終わった後、感想を聞かれて「いい眼の保養になりました」と言ったときは、本当に楽しそうでした。 そう言えば、その帰り監督とはじめて二人きりで飲んだなぁ。 ま、いっしょに今で言うハローワークに行き、その後もちらっとお手伝いをさせていただいて以来、監督の活躍を影ながら応援するだけのわたしになってしまったが、先日の「オペレッタ狸御殿」のプロデューサーが坂上直之氏とあり、坂上さんも『陽炎座』の当時、その宣伝活動を日本ヘラルドと共同で行い、そのときのチーフだったので、縁は続くものと変に感慨にとらわれた。 『陽炎座』撮了時の鎌倉材木座、荒戸邸での打ち上げは、わたしも参加したばかりで、映画界の右も左もわからず、わたしは(図々しいことに)大楠道代さんばかりと話をしていて、そこに荒戸さんが来て、まぁそれこそけちょんけちょんに(言葉で)やっつけられてしまい、かなり落ち込んだのを覚えている。横で大楠さんは涼しげな顔をして、それを見ている。 『陽炎座』完成の打ち上げを新宿の地林房でしたときは、さらに大変だった。これは、わたしが大変と言うよりもいわゆる荒れに荒れた打ち上げになったという意味だ。まず、松田優作は、撮影後もストレスをかなり抱え込んでいた。というのも、撮影初日から優作に清順師は過酷な演技を要請したからだ。「優作さん、ここは歩かないで芝居をしてください」この言葉以降、松田優作はそれまで彼の得意としていた激しいアクションや走る演技を全部封じ込められてしまったからだ。この映画で見られる唯一のアクションシーンも金沢・陽炎座内で内藤剛志などともみ合う一カ所だけだったと思う。 それまでの優作のやり方とは、180度も違うこの演出に彼はかなり悩み抜いていたんではないか?それまでなら、自分が違うと思えば、監督に噛みついてまでも自分流にしてきた優作である。しかし、この現場では伝説の清順師ゆえに勝手がいかない。重要スタッフは日活時代からの老練な方ばかりである。 「殺人遊技」シリーズのように新東映やロマンポルノから流れてきた若いスタッフたちとつくっていた映画とは訳が違うし、神代監督や工藤監督のように芝居にくらいつく役者の演技を楽しむ監督とは一癖も二癖も違う監督なのである。 その打ち上げ時に、まず長谷川和彦が荒戸氏にある不満から食ってかかり爆発した。爆発というのは、店の椅子を頭上に思い切りかざし、荒戸氏に向かいぶん投げたのだ。すると、荒戸氏も同様にそれ以上の数の椅子を長谷川監督にぶん投げる。 その勢いで優作も喧嘩をはじめ、中は大騒動になった。それでも、そういうことに慣れた清順監督は何事もないように席に納まっているし、大島渚なんかは、平気で扇子を扇ぎながら、大きな声で笑みを浮かべて座っている。 警察がこちらに向かっているとの情報に、すでに怪我人を出してしまった優作を我々は逃がし、警察がついた頃にはすっかり崩壊したその店の中で、打ち上げはめでたく終了していた。 いわく、映画界って、聞いてはいたけど、ほんとうにこういう世界だった。 この前段や後段に興味がある方で、わたしのブログ場所を知らない方は勝手に探し出してお読みください。 また、できたらこの話を広めぬようにお願いいたします。
by tsukimoto_natsumi
| 2005-11-21 00:19
| 80年代日誌
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