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2013年 04月 24日
下村 健さんが自宅の押し入れの中から出てきた情報誌「ぴあ」1978年11月号(月刊期)と1981年5月22日号(隔週刊期)二冊をもとに、当時同誌に掲載された都内、神奈川・千葉・埼玉・茨城の首都圏を合わせ482館(!)もの映画館を再録、リスト化した「ぴあ1978年11月号・1981年5月22日号に掲載された映画館」がツイッターやネットニュースで大きな話題を呼んでいる。
各映画館名をリスト化し、それぞれの番組構成(洋画封切、邦画封切、ピンク3本立、名画座・洋画2本立、名画座邦画2本立等)、その後の館名、閉館時期の判明したものについてはそれを付記した懇切丁寧な労作である。 わたしはちょうどその頃、水道橋、羊屋ビルにあったぴあ編集部「映画の街角」班でバイトをしていたので、その頃の編集方法をちょっと記しておこう。 まず都内映画館に電話をして上映作品とスケジュールを聞く。それから正確な題名や監督、出演者はキネ旬の映画年鑑などで調べる。次にそれを専用原稿用紙に書き、写植屋へ持ち込み。この段階で好きな映画や監督、出演者の項目に「!」「★」「♡」マークを入れるのが唯一の自己主張。(ただ、これをやりすぎると担当社員から怒られるのでほどほどに)あとは、山ほど間違いが出るので糊とカッターでの切り貼り作業の連続だった。ぴあが月刊から隔週刊に切り替わった頃のことである。 こうして出来上がった雑誌が、店頭発売の前日に手にはいるのもちょっとした喜びであった。 このようなすべて手仕事のアナログ作業は、いつまで続いたことだろうか。今となってはなつかしい思い出でなので、ほんの少しだけ書いてみた。 そして81年にわたしは自主上映班のチーフAさんの紹介でシネマ・プラセットという会社に入ることになる。 それから、もう30年以上映像の仕事をわたしはやっていることになるのだった。
by Tsukimoto_Natsumi
| 2013-04-24 06:41
| 映画
|
Comments(4)
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by
(Y)
at 2013-04-27 10:41
x
お久しぶりです。言うまでもないですが、こちらは超低空飛行が相変わらず続いています。
さて、ちょうどその頃(1978)僕は貧乏学生で、ぴあは買うものではなく、本屋で必要な情報を立ち読みするものでした。地方都市から出てきたばかりの僕らにとっては、都会生活の案内役でしたね。
0
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by
Tsukimoto_Natsumi at 2013-04-28 22:01
あー (Y)様、ご無沙汰しております。年賀状いただいたままで、返事も出さずに申し訳ありません。こちらもなんとかやってます状態です(笑)。
わたしは78年卒業で、どこにも就職できず、けっきょくぴあで2・3年バイトをしてから社会人になりました。 ただでぴあが手にはいるのが魅力のアルバイトでした。
ご無沙汰致しております。
拝読して、思い出したことが2つあります。 (1)私の家の最寄り駅には、昭和30年代には映画街と言えるような一角があったとのこと。下村氏のリストにも4館が残っています。いずれも閉館したようですが、そのうち1館の後継と思われる映画館が最近まで営業していました。しかし、今年に閉館し、わが街から映画館が完全に消えました。 (2)高校時代、赴任してきた国語の先生は、いい年の国語教師にしては妙に引き締まった体型で、生徒たちのあいだで様々な憶測を呼んでいました。ほどなく、若い頃東京で真剣に舞台俳優を目指していたことが判りました。劇団の公演情報を載せてもらうために『ぴあ』の編集部に度々足を運んでいたそうです。曰く、「今でこそ「ぴあ」は大会社だけど、当時は学生がオンボロビルの一室でやってるような小さな会社だった」。その先生が、文化祭に黒タイツ姿で登場した時には生徒たちの失笑を誘いましたが、ステージ上で見事に『ボレロ』を踊り切り、体育館は拍手喝采に包まれました。
Commented
by
Tsukimoto_Natsumi at 2013-09-14 13:40
MasaruS 様。
こちらこそごぶさたしています。ブログの方はいつも読ませていただいています。 最近AMラジオあまりおもしろくないですね。とくに荻上チキの番組が僕はダメです。 ちなみに僕の今期ベスト3は「林原めぐみのTokyo Boogie Night」「薬師丸ひろ子 ハートデリバリー」「世界の快適音楽セレクション」です。(関係ない話ですみません)
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