|
カテゴリ
My Profile My Works and…☆
My Profile My Site「レコード物語」 My Works 誰もアンディ・ウォーホルを知らない はっぴいえんど ジョン・コッシュのすべて 変形ジャケットの世界 官能的!Sensual Covers カル・シュンケル&ネオン・パーク 水玉アワー(1986) Tokyo Pictures(1987) Forest(1993) My Music LINKS 吉岡実の「本」 ソール・バス 楽譜ギャラリー _____________☆ 星渉・MENU __________☆ Maximum Joy __________☆ 神の味噌汁 ____________________☆ Cherubim weblog ____________________☆ Fillmore And More _____________☆ とくながたかのりのSPECIAL Days _____________________ あなたに映画を愛しているとは言わせない 町山智浩アメリカ日記 内田樹の研究室 カフェ・ヒラカワ店主軽薄 ______________ 利庵 小笹寿司 銀杏 最新のコメント
エキサイトブログ
ネームカード
タグ
澁澤龍彦(16)
堀内誠一(11) スガシカオ(10) The Beatles(6) ユーミン(6) 村上春樹(6) ギドン・クレーメル(5) ボブ・ディラン(5) マルタ・アルゲリッチ(5) 山下和美(5) 大島弓子(5) 鈴木清順(5) ティム・バートン(4) アルヴォ・ペルト(3) ザ・タイガース(3) ジョン・レノン(3) ティナ・ラッツ(3) ミッシャ・マイスキー(3) 井上荒野(3) 角田光代(3) 以前の記事
検索
最新のトラックバック
ライフログ
うわさのキーワード
|
2009年 11月 16日
「初恋のひと」小川知子
(作詞:有馬三恵子 作曲:鈴木淳・1968年) そよ風みたいにしのぶ あの人はもう 私の事などみんな 忘れたかしら のばらをいつも 両手に抱いて 朝の窓辺に 届けてくれた なぜだか逢えなくなって 恋しい人なの ![]() 60年代は車の存在がきわめて魅力的だった。あの時代、“自動車”は未来へのシンボルのように光り輝いていた。テレビや映画にとっても車は欠かせない小道具で、主人公達は最先端の装置としてそれらを活用した。とくにアクション映画やスパイ映画では、車は主人公同様の大活躍をしたものだった。だから、そうしたドラマに夢中になった。「スパイキャッチャーJ3」(主演:川津祐介・'65年〜'66年)のコルベット・スティングレイ、「バックナンバー333」(主演:大瀬康一・'65年〜'66年)のコンパーノ・スパイダー、「平四郎危機一発」(主演:石坂浩二・'67年)のマツダ・コスモ・スポーツ。そしてなにより「007シリーズ」のアストン・マーチン。67年の「007は二度死ぬ」では、ついにトヨタ2000GTがボンドカーとして選ばれたのだった。 熱が高じてカー雑誌を愛読し、他のスポーツカー・タイプの車も好きなった。お気に入りは海外ではジャガー・Eタイプ、国産ではジウジアーロ・デザインのいすゞ117クーペ、ついでにミケロッティ・デザインの日野コンテッサ1300。自動車熱は中学に入るまで続いた。 小川知子の「初恋のひと」が発売されたのは1969年(昭和44年)のこと。全体にタンゴ風のアレンジが施され、カスタネットの響きが逆にどこか哀切をそそる。けれど、そこで描かれているのは、エクタクローム・フィルム特有のアンバー調で撮影されたカリフォルニアの光まぶしい景色にも思われる。 ☆ 麦わら帽子のような 匂いをさせて 私を海辺へつれて 走った人よ 光の中を もつれるように はずんだ胸は 熱かったわね ☆ まるで、その頃流行っていた男女が光の中で戯れるコカコーラのCMのような風景である。光はそよぐ栗毛色の髪を強調するため、いつもバックライトで溢れるようにこぼれていた。「のばらをいつも両手に抱いて朝の窓辺に届ける」ようなロマンチックな初恋の人など、こんな歌の世界でしか見たことも聞いたこともなかったけれど、そんなシーンがソフト・フォーカスの映像として脳裏に浮かぶ、胸をキュンと淡く切ない気持ちにさせる歌だった。 そんな時、福澤幸雄がヤマハのテストコースで事故死した。ヤマハ発動機は隣町に本社があって、トヨタ2000GTやレーシング・カーにエンジンを供与していた。言うまでもなくトヨタ2000GTは福澤幸雄の愛車だった。件の事故が起きたそのテストコースもさらにその隣町にあった。しかしなぜかこのニュースを中学校の校庭で知った僕の頭には、それがどこか遠いヨーロッパの街のできごとのようにしか思えてならなかった。 恋人・福澤幸雄の突然の死に、小川知子がこの「初恋のひと」を「夜のヒットスタジオ」で泣き崩れるように唄った。それは後でやらせだったと小川知子自身が語ったという話がある。Wikipediaにもそう載っている。しかし僕にはことの真偽はどうでもいい気がする。 いまでも「初恋のひと」を聴くと甘酸っぱく切ない気分になる。初恋の人とは、この曲の風景のように美しいフィクションとして、存在してもしなくても「懐かしがっても遠い夢の人」がいいのだと思う。
2009年 11月 12日
「夜明けのスキャット」由紀さおり
(作詞: 山上路夫 作曲: いずみたく 編曲: 福井幾・1969年) ![]() 80年代は海外への一人旅をもっとも多くしていた時期だった。ひとりであちこちよく出かけたものだと思う。そんな旅のお供に、よくウォークマンを持って出た。カセットにさまざまな歌謡曲を録音して異国の風に吹かれながら聴いていた。とりわけ夜ホテルやコテージでひとり夜空を仰ぎながら聴く歌謡曲は格別の味わいがあった。そんな歌謡曲の中であらためて深く感動したのが由紀さおりの「夜明けのスキャット」だった。イントロの訥々としたアルペジオが煌めく星の瞬きにも聴こえ、続く「ルールールルルー」という澄んだヴォカリーズが夜空に銀河をつくりあげる。 愛し合うその時に この世はとまるの 時のない世界に ふたりは行くのよ 夜は流れず 星も消えない 愛の唄 ひびくだけ 愛しあう ふたりの 時計は 止まるのよ 時計は 止まるの 聴いている最中から、涙がそれこそ星のようにぽろぽろとこぼれ落ちた。なんという歌だろうか。ここでは地球上の時間という時間はすっかり無化される。ここでは時間は星の瞬きのような一瞬にも広大な宇宙のような永遠にもなりえてしまう。言葉を超えたスキャットは「時のない世界」へやすやすと誘い、それに続く山上路夫の天才的歌詞は、阿久悠登場前夜のロマンティシズム溢れる静寂の「愛の唄ひびくだけ」の世界を美しく描き出すのである。肌の細胞のひとつひとつが粟立つような甘美さは、孤独なひとりきりの海外旅行ゆえ尚更だったのだと思う。 ☆ 「夜明けのスキャット」はもともと1968年のTBSラジオの番組「夜のバラード」のテーマソングとしてつくられた。それが反響を呼んでリスナーからの問い合わせが殺到し、レコード化することが決まった。ところがスキャットだけの歌なんて売れるはずもないと、どこのレコード会社も拒むなか、ただひとりおもしろいと引き受けたのが、東芝音楽工業のディレクター高嶋弘之だった。高嶋はビートルズの初代担当ディレクターで、「日本でビートルズを売った男」として高名をはせていた。「抱きしめたい」や「ノルウェーの森」といった邦題をつけたのも彼である。(この逸話は9月20日のTBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」サンデーカラオケベスト10「ビートルズ特集」で本人の電話インタビューにより紹介された。)その後、高嶋は邦楽に転身。ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」や黛ジュン「恋のハレルヤ」などを手がけて大ヒットさせる。いずみたくからのデモテープを聴いた高嶋の頭には「悲しき天使」のメアリー・ホプキンのきれいな歌声があり、そのテープの声だけで顔も見ないで、東芝で売り出す事に決めたという。「夜明けのスキャット」は「日本初のスキャット・ヒット!!」日本歌謡曲史はじまって以来の1番歌詞なしの歌として150万枚を越える大ヒットとなった。 「夜明けのスキャット」は今年リマスター化されCDシングルとして復刻リリースされた。2009年は由紀さおりのデビュー40周年に当たる。
2009年 11月 08日
「恋のしずく」伊東ゆかり
(作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃・1968年) 肩をぬらす 恋のしずく 濡れたままでいいの このまま歩きたい きっとからだの 中までしみるわ そしてあなたの あなたの言葉を 忘れないように したいの ![]() 僕の生まれ育った町は繊維業で栄えた町だった。 その景気は朝鮮動乱の頃からはじまったようで、当時はガチャマン景気と呼ばれていたらしい。ガチャマンとは織機が一回ガチャッと織れば、一万円儲かるということである。とくに「別珍・コール天」の生産量は日本一を誇っていた。(ちなみに、別珍とはコットン・ベルベット、コール天とはコーデュロイのことです。)別珍もコール天も製織後の剪毛・仕上などに特殊な加工技術を要するため、その分野が得意な街として栄えていた。街のほとんどの家が小さな工場(こうば)を持って繊維関係の仕事をしていたと言っても過言ではない。 こうした工場の工程と生産を取り仕切る組合みたいなものがあって、天龍社と呼ばれていた。その天龍社が年に一度、繊維関係者へのねぎらいのイベントとして歌謡ショーを市の会館で開いていた。僕の家もその関係の仕事に従事していたので、ショーの切符をもらっていた。小学校の高学年にもなると、この歌謡ショーが楽しみでしょうがなかった。なかでもよく覚えているのは、伊東ゆかり、森進一、ザ・ドリフターズの時。招聘される歌手が、それまで大月みやことか三沢あけみといった演歌の歌手から、渡辺プロの洗練された歌手に変わった時のことである。 とくに伊東ゆかりショーの時は、はじめて見る都会のきれいな大人の女性の歌を聴くようで、それはドキドキしたものだった。楽団に迎えられ舞台に登場した伊東ゆかりはピンクの薄物のふわっとしたワンピース姿で、そこからは清楚な色香とそれまで嗅いだこともないような高級な化粧品の薫りが客席までそよそよと伝わってくるようで、田舎の小学生までも陶然とさせたのだった。今思えば、それはちょっとした青い「目覚め」の瞬間だったかもしれない。 この天龍社主催の歌謡ショーも中学の時分にはなくなってしまった。70年代にはいると、繊維業はあっと言う間に賃金の安い東南アジアや中国にその仕事を奪われ、オイルショックがさらにそれに追い打ちをかけ、繊維業界はどの業界よりいち早く不況の波に攫われてしまったのである。今では、どこの家からも聞こえてきたような織機を織る景気のいい音は聞こえてくることはない。
2009年 11月 03日
僕が初めて 君を見たのは
白いとびらの 小さなスナック 「小さなスナック」は1968年(昭和43年)のパープル・シャドウズの大ヒット曲。当時、この曲を耳にするたびに、いつも「恥ずかしいなあ」という赤面するような気持ちを抱いていた。 ![]() どこの沿線の街、どこの駅前の通りにもある白い扉の小さなスナック。 今ではそのブームもとうの昔に去った街場のスナック。ひっそりと佇むその店の気配に、その前に立ち止まり、その扉の奥を覗いてみたいという誘惑に駆られたことはないだろうか。店名の書かれた小さな白いドアは非日常へと誘う秘密の「とびら」でなければならない。 「都築響一の東京スナック魅酒乱 天国は水割りの味がする」は、そうしたどこの駅、どの街にもひっそりとする存在する魅惑のスナックをつぶさに訪ね、勇気を持って誘惑の扉を押し開ける。 水割りをかたむけながら、そこのママさんと「一問一答」を行い、そのお店やママさんの興味津々の来歴を聞き出して、挙げ句ママさんお得意の歌をカラオケで唄わせて、それをmp3で公開までしてしまうという、編集者・写真家にして日常に潜む奇景探検家でもあるいかにも都築響一らしい楽しいサイトである。(同時に連載している「知られざる“インディーズ演歌”の世界 演歌よ 今夜も 有難う」もぜひ併せて読みたい) とは言いながら、最後にスナックに入ったのはいつのことだろうか。高校のはじめての同窓会の二次会で入った地元の狭くて薄暗いスナックか、それとも学生時代に住んでいた南長崎のスナックだっただろうか。南長崎のスナックは店名など覚えてもいないが、たしか角栄マンションの一階にあって、高名な元プロボクサーが経営していて、その美人の奥さんがママをしていたっけ。白っぽい店の中にはママさんが好きな蘭の花がいっぱい飾られていたのをかすかに覚えているが、それも記憶の捏造かもしれない。いずれにせよ、もう大昔の出来事である。 今住んでいる街に末広通りというさびれた商店街がある。1kmくらいあるその商店街には、その区切り区切りにアーチが抱かれ、そこにはビニール製の万国旗が悲しくたなびき、演歌のBGMがうっすらと古いメガフォンから流れている。今では多くの店がシャッターを閉ざしてしまっているが、ここにもまだ一軒の白い扉の小さなスナックが健気に営業を続けている。その店の前にちょっと立ち止まり、そっと店の様子をうかがってみる。 店の白い扉は「誘惑のとびら」でありながら、入ることを「拒否するとびら」でもあるような気が私にはしてならない。
2009年 10月 31日
十月も今日が最終日。例によって今月のラジオ雑感を少し。
こんなにも(ネットラジオやポッドキャストも含め)ラジオを聴くようになったのは、自分の人生で初めてのことではないだろうか。 昨日帰りの電車のなかで聴いていたポッドキャスト「小島慶子 キラ☆キラ」オープニング(10月30日金曜放送)での小島アナの言葉に思わずホロリとしてしまった。 「十代の鬱屈していた私を救ってくれたのが毎日聴いていた上柳昌彦さんのラジオだった。ラジオって“私なんかひとりぼっちなんだ”って思っている時に命の恩人的なものになるんです」文化放送の「吉田照美 ソコダイジナトコ」に継いでニッポン放送、朝の番組「上柳昌彦のお早うGoodDay!」への表敬訪問宣言をするなかで洩らした言葉である。 小島慶子はこう続けた。「ラジオはぜったいあなたを孤独にしないというメディアなんです」。窓ガラスに深い宵闇を映した電車のなかで心が揺らめいた。 最近の小島アナは、番組で語るそばから話法とコミュニケーションの何かを発見している気配が濃く漂っている。たとえばそれは、ギタリストの少年がはじめて「ライトハンド奏法」や「タッピング奏法」を会得して、それがうれしくてたまらず臆面もなく人前で披露しているのと同時に、自分の使命感への真摯な面差しを併せ持って観客・リスナーと接するのに似ている気がする。 ☆ さて、ラジオ中毒熱の昂じた私はついに先月くらいから「BATTLE TALK RADIO アクセス」まで日々聴くようになってしまった。かつて、この番組はあまり好きではないと書いた(ことがある気がする)だけに、我ながらやれやれ、なんともな心境ではある。 あまり好きではない理由のひとつが「バトルトーク」のテーマの設定で番組の出来・不出来に差ができすぎること。それは、バトルトークに参加する一般リスナーのトークの質にそのまま反映されてしまう。先月やっていた「記者クラブ問題」の時は一般リスナーたちの発言もレベルが高く、そうだそうだなんて応援しながら聴き入ってしまったが、こういうことが日々起こることはなく、よくバトルトークがバトルトークにならないまま、私はうっかり寝てしまっていることさえある。 ひょっとして私は「渡辺真理ファン」なのかもと、ふと妄想してしまうこともある。というのも、番組に参加する多くの男性リスナーが、電話がつながった時にほんとうにうれしそうに発する「私、真理さんのファンなんです」というにべもない素直な感情に感化されてしまったのかもしれない。が、その話はまあいい。 10月27日(火)の「アクセス特集・誠二と真理のコレを見た」には深く考えさせられた。加藤和彦死去のことを書いたジャズ・ミュージシャン、菊地成孔の10月19日付のブログのことを取り上げていたからだ。さっそく私もそのブログを読んでみた。 以下、菊地成孔氏のブログ「加藤和彦氏逝去」から少し引用させていただく。 ☆ 非常にデリケートな話ですので、慎重に書かせて頂きますが、ワタシは、自殺願虜を一般的症状とする鬱病、特に中高年性のものが、一時のエイズに様に、決定的な死病であると一度は認識されるべきであり、更に、重ねてエイズの様に、既に死病ではない。という社会的な克服の姿を見せるべきであって、それに向けて各セクション(勿論、医師も音楽家も、宗教家も魚屋も、金融業者も化学者も、お笑い芸人も派遣社員も、みんなそこに含まれます)が尽力するのが望ましい。とする立場です。 ☆ とはじまる文章は、菊地成孔自身がいかに加藤和彦のソロ三部作「パパ、ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」を(音楽のみならず)彼の人生の指針にしてきたかを語り、そのブログをこう締めくくる。☆ ワタシは、あれだけボンボンで美しく、体躯にも知性にも恵まれ、若い頃からしっかりとお洒落でエッジで、早熟でダンディで軽みがあって、穏やかな笑顔を持ち、多趣味を極め、ガツガツせず、品のあるスタイリッシュな人生を送った人物が、60代と言わず70代と言わず、現在のこの国で、「やる事が無くなった」といって死んでしまう事を、一体誰がどうやったら止められるのか、まったく解りません。あのとき、同じ空を見て、美しいと言った二人の、心と心が、いまは、もう通わない。あの、素晴らしい愛をもう一度。あの、素晴らしい愛をもう一度。という痛切な「フォークのメッセージ」は、現在「ずっとそばにいるよ」「一生守ってみせる」「声を聞かないと不安になる」に変質してしまいました。我々は、アンチエイジングなどしている場合ではない。大人という、非常に贅沢な演技が全うでき、老人という、非常に贅沢な本質が全うできる社会を取り戻すために、全セクション総力を上げて闘って行かねばならないのです。故人の死をデカダンにしてはいけない。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 ☆ これは、切実な今という時代の中高年の問題の核を突いているのではないだろうか。 「アクセス」で藤井誠二も語っていたが、われわれはどこかの女性誌や健康雑誌、化粧品会社の尻馬に乗って、のんきに「アンチエイジング」など語ったり、行っている場合ではないのである。 やはり、こういう時「BATTLE TALK RADIO アクセス」も聴き逃せないと思う。
2009年 10月 28日
どうもあまり書く気が起こらなくて…すみません。
ここ2・3週間で読んだ本とちょっとラジオのこと記録として残しておこう。 「ニッポンの思想」佐々木敦(講談社新書・2009年) 「定本 気分は歌謡曲」近田春夫(文藝春秋・1998年) 「プレイバック 70〜80年代のスター群像を創り上げたスーパー・プロデューサー酒井政利の軌跡」三田完(三天書房・1995年) 「プロデューサー 音楽シーンを駆け抜けて」酒井政利(時事通信社・2002年) 『「艶歌の竜」と歌謡群像』奥山弘(三一書房・1995年) 「音山 呼べば応える音盤の木霊書」湯浅学(水声社・1999年) 「白く染まれ ホワイトという場所と人々」宮﨑三枝子他(IBCパブリッシング・2005年) 「ナイン 9つの奇跡」川上健一(PHP研究所・2009年) ラジオ: 「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ 10月25日)伊集院光、2時間半にわたってゲストで登場。生で聴けなかったので録音で月曜日に聴く。 「吉田照美 ソコダイジナトコ」(文化放送 10月28日)前日「小島慶子 キラ☆キラ」での予告通り、小島慶子アナ朝6時過ぎ上杉隆の時間に上陸。 ポッドキャスト: 「ラジカントロプス2.0」(ラジオ日本) 「マキタスポーツ」編、「水道橋博士」編 「東京ポッド許可局」など
2009年 10月 19日
やっと書く気になった。
おとといの午後、加藤和彦自殺のニュースを聴いてクラッと来た。 自殺!? なんで?…という思いがずっと頭の中から離れなかった。 今年に入って、自分の身内も含めて多くの大切な人が亡くなるので、正直言ってこういうことはあまりに記事にしづらい。 トノバンは中学・高校時代からずっと僕の音楽の目標、指標の日本人ミュージシャンだった。 フォークルから2枚のソロ・アルバムを経てサディスティック・ミカ・バンドへ。そしてふたたびソロ活動とプロデューサー時代。彼はいつも楽々と時代の先取りをしていた音楽家だった。彼のつくる歌にはそこはかとない気品と羽のような軽さがいつも備わっていた。 先週ニッポン放送の「垣花正 あなたとハッピー!」の「黄金歌謡伝説・名曲誕生秘話」の一週間のゲストが加藤和彦だった。これが最後のインタビューになってしまった。「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」「タイムマシンにお願い」の誕生秘話から「帰ってきたヨッパライ」だけを聴いた。 iTunesのインデックスから加藤和彦の項を開いてみた。 中には「ぼくのそばにおいでよ/COME TO MY BEDSIDE」と今年のラジオデイズの北中和正との対話「加藤和彦の世界」が入っていた。 「悲しくてやりきれない」は「イムジン河」を逆さにたどってあのメロディになったというのはウソである。メディア受けするように語った加藤和彦一流のサービスだった。けれども、そういった言葉を鵜呑みに信じさせてしまうような「天才性」を持っているミュージシャンだった。 天使の羽の重さを痛感させる出来事だった。 大好きなアルバムを一枚あげておく。「ぼくのそばにおいでよ」。 ご冥福をお祈りします。 ![]()
2009年 10月 16日
どうやら小島慶子アナの存在がラジオの世界で台風の眼になっているような気がする。
同局、他局の番組、QuickJapanなどここのところ頻繁に小島慶子の話題を耳にし、眼にするからだ。 たとえば、ちょっと前ならJ-WAVE「GROOVE LINE」でのピストン西沢の発言。 「小島慶子をゲストに迎えたい」 文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」での大竹まことの発言。 「火曜日は『キラ☆キラ』を聴いてください」 TBSラジオ昨夜「BATTLE TALK RADIO アクセス」小島慶子とのダブル・ナビゲーターで番組をというリスナー・リクエストに渡辺真理は「小島慶子は昼も夜も働いたらいい」。(爆笑) 昨日の「キラ☆キラ」での小島女史の話を受けて、文化放送「吉田照美 ソコダイジナトコ」で今朝の吉田照美の発言。 「どこまで気の強い女なんだ、会ったことないけど」などなど。 小島慶子の発言や話題を中心にラジオは越境しはじめている。 そして、これらの番組間をつないでいるのはラジオ好きなリスナーの存在のようだ。 ☆ とまあ、今朝家を出る準備をしながら聴いていた「吉田照美 ソコダイジナトコ」での吉田照美の挑発にまんまと私も乗ってしまったのだった。 そう言えば、QuickJapanの「小島慶子 キラ☆キラ」特集をまだ読んではいないし、他の番組での話も家を出る前に急いで思い出すままに書き連ねたに過ぎない。 でも、まあいいではないか。小島慶子アナにはぜひ果敢に「道場破り」(by 水道橋博士)や越境を不意打ちのように実行してほしいと思っている。それもAMのみならず、FMにもぜひ出向いてほしいものだと思う。もちろん、それは小島アナに限った話ではないだろう。今のところラジオの台風の眼は小島慶子だということだ。 ああ、レディハリケーン。 矛盾する言い方かもしれないが手弱女(たおやめ)なラジオ界の女侍に期待する。 今日の「キラ☆キラ」のオープニングを聴き終えて。 『ああ、レディハリケーン』近田春夫 (作詞:楳図かずお 作曲:近田春夫・1979年)
2009年 10月 15日
じつは最近土曜日の朝はTBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」をまた聴くようになってきている。しばらく前から番組は、永六輔の呂律がまわっていない、何をしゃべっているか聞き耳をたてないとわからないという事態になっているのはラジオファンなら周知のことだろう。僕もちょっとそこが心苦しくなって他局を聴いていたのだが、けっきょく元に戻ってしまった。
その辺のことを、昨日「大竹まこと ゴールデンラジオ!」で、オープニング早々からゲスト出演した伊集院光が大竹とともに語っていた。なかなかに内容意味深で、久々に大爆笑した「ラジオというもの」に関する「ラジオの達人」たちにしか語り得ない絶妙なトークだったので一部採録する。☆ 伊集院「うちの嫁さんが、『あなたはほんとう楽しそうにラジオに行く。ピクニックに行くみたいな顔をして、人殺しみたいなことを言う』」 ☆ これには伊集院のラジオ番組の本質を突いているようで思わず笑ってしまったが、すごいのはここからだ。 トークは大竹まこともよく聴いていたというTBSラジオの大人気番組だった『伊集院光 日曜日の秘密基地』の話題からTBSラジオで活躍するベテランのお歴々の話題になった。 ☆ 大竹「それは永六輔さんとか大沢悠里さんとか、そういった意味合い?」 伊集院「永六輔さん、神の域に今達しはじめている。永六輔さん(クックッ)。」 大竹「TBSは伊集院くんの番組とそれから永六輔さんは欠かせない…」 (二人ともなにか言いにくそうな話題に触れる気配) 伊集院「もう言いましょうよ。永さんはたまに言葉を超えて音波になっているんだけど、あの音波を聴かないと、私の一日は気がすまない、終わらないという人がいっぱいいるんだと」 大竹「ラジオで言葉が命なのに、言葉なんかいらないんだから」 伊集院「そう、永さんが辞めた日にラジオを棄てる人がいっぱいいると思うよ、ホントに。永さんが辞めてから、つぎ電池が切れたらもう電池を買いに行かないというじいちゃんばあちゃんがいると思うよ」 大竹「永さんしゃべれなくなって、杖ついて歩いていて、永さんに何か質問した時に、杖でマイクを、イエスは一回、ノーは二回叩くだけで、俺は永六輔支持するもん」 伊集院「あの域にあるためには、俺たちまだ何も持ってないぜって言う…」 大竹「いまもう小鳥の囀り見たく聞こえるしね。俺はウグイスかって思ったもん」 伊集院「大竹さん、今のには美しいって意味も入ってますよね」 大竹「悪口じゃないって、ほんとうに思うよ」 伊集院「あれを聴くとAMラジオはちゃんと時計でなきゃいけないし、習慣でなきゃいけないし。何があろうと、あの人の声聴かないとって感じになるには(まだ私には)何かやっぱ足りない。ぜんぜん足りないよ」 (以下、深夜ラジオのこと「コサキンDEワァオ!」のことなどにも触れ、その話も興味深かった) ☆ (小島慶子が「キラ☆キラ」で言っていたように)永六輔はだんだん白くなって透明に近づいている。(さらに私が蛇足ながら付け加えると)そうして永さんはその骨まで白く白く透明になり、やがてエーテルのように空気中に溶け出して、電波の中に漂う「ラジオの神様」になってしまう気さえする。 土曜の朝は「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」からはじまり、永六輔と久米宏のクロストークを経て午後の「久米宏 ラジオなんですけど」そして「宮川賢 パカパカ行進曲」を聴き終え夕方に至る。保守的かもしれないが私のようなラジオファンにとって、それがどこか永遠の休日を思わせる黄金のルーティーンなのである。
2009年 10月 12日
たとえば吉原か雄琴のトルコの待合室でうつむきながら待っている時に、そこで流れていた(あまりにその場に似つかわしくない)バート・バカラックのBGMに思わず涙してしまったような、そんな曲だ。
それはイントロに流れる恥ずかしいまでに妖しく大げさな琵琶や琴や鼓といった和楽器と弦楽器が奏でる響き以上に、それに続く情念の澱が満月の月夜のもとでそっと澄んでしまったような上質なメロディと内田あかりの静かに震えるうすらいのファルセットの魅力である。 「浮世絵の街」内田あかり (作詞:石坂まさを 作曲:川口真・1973年) 夜の香りを しみこませ 誰が私を 染めかえた 女ごころの哀しみに そっと浮かぶの 浮世絵が あー あなたの匂い 捨てられないわ 恋の絆 恋の絆 千切っても 千切っても 女ごころの哀しみに そっと浮かぶの 浮世絵が ![]() ジャケットを飾る上村一夫の細やかで艶っぽい描画をなぞったような内田あかりの能面のような表情や、頭に巻いたターバン、透けた布地に描かれた浮世絵が浮かび上がるふわりとしたやまもと寛斎デザインのコスチュームが印象深い。(これはグラム時のデヴィッド・ボウイの衣裳から考案された。) しかしこの曲の盛り場の女の内実と上質のポップスが寄り添う様は73年の当時からしてもかなりアナクロニスムの奇異さをともなっている。それは夜の女の悲哀が得意な石坂まさをの演歌とどうしてもポップスになってしまう川口真の楽曲がたまさか遭遇してしまった奇跡のような歌謡曲のアマルガムの不思議である。それが上質のポップスのようでいながら、どこまでも歪んだアーティフィシャルな臭いや空気を醸し出しているのがたまらなく美しいのである。(あ、ややこしい文章になり書いていて面倒臭くなってきた。) 金井克子の「他人の関係」(作詞:有馬三恵子 作曲:川口真・1973年)は、この曲の異母兄弟、好一対の佳曲。 そして由紀さおりの「手紙」といったポップスの名曲が遠いこだまのように響いている。 ☆ 土曜日の夜は相変わらず「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」を聴く。サタデーナイト・ラボのコーナーは「秋のキーボード祭り第3弾」、生演奏ゲストはさかいゆう。 ともかく、この人、声がすごく美しい。この番組でもお馴染みのノーナ・リーヴスの西寺郷太も筒美京平が絶賛したほどのポップスに向いたきれいな歌声の持ち主だが、さかいゆうの歌声もそれ以上に透明感のある美しい声。 コピーは“涙をいざなうシルキー・ヴォイス”、なるほど。 基本ピアノ弾き語りのポップスなのだが、そのベースにR&Bやファンクのタイトなグルーヴを持っているところが好み。ファースト・シングル「ストーリー」は、その後のニッポン放送で新しくスタートした「オードリーのオールナイトニッポン」でもさっそくかかっていたので、この秋注目の楽曲ということだろう。
2009年 10月 03日
今日はふだん聴いている「久米宏 ラジオなんですけど」が先週の告知で、これまでのインタビューのダイジェストで録音だとわかっていたので、はじめて文化放送「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」を聴く。今日は「ムード歌謡大特集」だったからだ。
ゲストは敏いとう。フランク・シナトラと交友を結ぶようになった話とか思わず笑ってしまった。 それにしても、みのもんたはムード歌謡の世界を語らせたり、その司会をさせるとむちゃくちゃうまいです。 敏いとうとハッピー&ブルー、和田弘とマヒナスターズ、フランク永井と松尾和子、島津ゆたか(「ホテル」!)などいろいろかかったが、いちばんハッとさせられた曲が、中井昭・高橋勝 とコロラティーノ「思案橋ブルース」(1968年)だった。 ![]() この曲、子ども心に大好きだった。ヴォーカルの中井昭の切なく透きとおる、きれいなファルセットとそれとは裏腹な太った強面のルックスがとてもミスマッチで、今でも深く印象に残る名曲でした。 「思案橋ブルース」(作詞・作曲:川原弘 編曲:川口真) 哭いているような 長崎の街 雨に打たれて ながれた ふたつの心は かえらない かえらない 無情の雨よ ああ長崎 思案橋ブルース ついでと言ってはナンですが、こちらは低音の魅力、フランク永井の「WOMAN」(作詞・作曲・プロデュース:山下達郎)。 ![]()
2009年 10月 02日
帰りに駅を出るとすぐに提灯と通夜の告知が置かれていた。近くのマンションの集会所で行われているらしい。
川を渡り、近道をするために団地のなかを通り抜けると、今度はこの団地の集会所でも通夜が営まれていた。 少なくとも昨日この街で二人の方が亡くなった。買い物袋を地面に置いて、通夜の会場近くにいた二匹の猫の頭と背中を撫でていると、虫の音があたりに響いていた。 母が亡くなってちょうど半年になる。まだこころの中には小さな虚ろが開いたまま。 昼の間はラジオを聴くことができない。「荒川強啓 デイ・キャッチ!」(TBSラジオ 月〜金、15:30〜17:50)も生放送で聴いたことがない、たぶん。月曜の町田徹、火曜の小西克哉、木曜の山田五郎といった日替わりコメンテーターが楽しいのでポッドキャストで拝聴している。 番組ではこの秋から「メキキの聞き耳」という新コーナーができるらしい。「辛酸なめ子、永谷脩、永江朗、阿蘇山大噴火、山本賢治、荻上チキなどさまざまなジャンルの目利きが日替わりで登場しここでしか聴けないトークを展開する。放送は夕方5時15分から。黄昏時に展開する電撃の8分間」とのこと。「ストリーム」の「コラムの花道」に準レギュラーとして登場していた人も多いので、ちょっとばかり「コラムの花道」のスピンオフ的雰囲気。ポッドキャストでも配信するとのこと。 おとといTBSラジオをいつも流している駅前の蕎麦屋が潰れていた。いつも水だけ買っている事務所の近くの八百屋もラジカセでTBSラジオをかけている。こっちは今のところ健在である。 木曜にいつも訪れる会社の受付の模様がどこか違う。すぐに気付いた。受付嬢が紺のシックな制服に衣替えをしていたのだった。 なにかが変わり、なにかは変わらずそのまま、深い秋のはじまり。 松任谷由実『ハルジョオン・ヒメジョオン』(アルバム『紅雀』より)
2009年 09月 29日
日曜日の夕方から夜はどうしようもない退屈、憂鬱な“ケ”の気分に包まれる。
プロ野球中継を聴かないので、夕方から夜にAM放送で聴く番組がなくなってしまうからだ。そこでこの日はFMへ移動。 夕方5時からはTOKYO FM「NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE」を聴く。この番組はじめて聴いたが意外とおもしろい。30代の安部礼司といういかにもその辺にいそうなサラリーマン男性を主人公にした軽いコント風なラジオドラマ。(安部礼司=アベレージだから当たり前か)番組全体に80年代の軽妙な文化の匂いが漂っている。ちょっとホイチョイ・プロダクションのマンガのようなテイスト。構成作家の脚本(ホン)が冴えている。「今さらツボな選曲」という80年代ポップスの選曲も味。主人公の携帯着信音がBOØWYの「Marionette -マリオネット-」だったのには笑ってしまった。来週もまた聴くことにしよう。 6時からは、bayfmで小林克也パーソナリティの「ビートルズから始まる。」。これはときどき聴いている。いろんな角度やエピソードからビートルズの軌跡を知る一種の音楽教養エンタテイメント。小林は今回のリマスターでのモノ盤がお勧めらしく、ほとんどの曲をモノ・バージョンでかけていた。 その後聴く番組をなくし、音を消してテレビでNHK「天地人」をつけながら、ネットからふとFMCに行ってみると、この夜はいつもより早く「QUEMULE INSIDER CLUB(ケムール・インサイダー・クラブ)」がアップされていたので、今度はそれを聴く。この番組、三人のバカ話で和気あいあいとやっているようでいながら、文化、メディア、政治、経済などの社会時評にも鋭く目が行き渡っているのに感心する。またトークの大まかなグルーヴ感やその場のインプロヴィゼーションを大切にしつつ、オープニング・エンディングBGMやフェイクCM、番組全体の構成・録音・編集・ミックスと細部にもしっかり手が入っているのも好感が持てる理由のひとつ。 日曜夜のお楽しみを早く終えてしまったので、一年以上もほったらかしにしていたDVDのなかの一枚をやっと観る。ラジオを聴きはじめるようになって、すっかりテレビもDVDも見なくなってしまった。『人のセックスを笑うな』(監督:井口奈己 主演:松山ケンイチ、永作博美、蒼井優・2008年)、「恋におちる。世界がかわる。19歳のボクと39歳のユリのいかれた冬の物語。」。 役者のそのシチュエーションに応じた繊細な即興演出の多い、横の構図にこだわったスタティックな演出。132分、いかんせん長すぎる。これなら90分に収めてほしい。途中何度も眠たくなる。 見終わってラジオをつけると、TBSラジオで「文化系トークラジオ Life」をやっていた。テーマは「“居場所”の現在」。聴きながら寝てしまった。 ふ…
2009年 09月 27日
九月も下旬になると、ほんの少し窓を開けているだけでもほんとう涼しい。ソファに横になってラジオを聴いていると、ついうとうと寝てしまう。
昨夜も「半田健人のオールナイトニッポン」を冒頭から夢の中で聴いていた。第34回目のテーマは「華麗なる低音の世界:ベースギター」。半田のことだから、60年代から70年代に日本の歌謡曲を支えた名人ベーシスト、寺川正興や江藤勲の話題になるのは想像に難くない。なのに夢見心地の僕の耳の中ではマイケル・ジャクソンの「ビート・イット」が鳴っている。そのまま眠りにすっかり落ちてしまった。 まあいいか予約録音しているのだし… ふと気がつくと、ラジオの音は切れ部屋がしんとしている。時計を見ると2時30分に近い。しまった!レコーダーのバッテリーが切れている。ラジオと比べるとICレコーダーはバッテリーの消耗が激しいのが難点だ。慌てて受信感度のいい台所の窓際に置かれたICレコーダーの電池を替え、番組残り30分を聴き続けた。 スタジオではゲストに呼ばれた誰かと半田健人が話している。耳をこらすと、やはり江藤勲(俳優・江藤潤の兄)らしい。江藤が参加した歌謡曲セッションの話が終わり、江藤が影響を強く受けたベース・プレイヤーのことに話題が移っていた。そこでダニー・ハサウェイの「ライブ」から“Everything is Everything”がかかる。ベースはもちろんウィリー・ウィークス。ウィリーのソロプレイが聴ける一曲。ピーター・バラカンも先週の連休中にあったNHK-FMの十時間に及ぶマラソン番組「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧(軽音楽編)」にゲスト出演した際に、自分のベスト3の一枚に選んでいた名盤。(ダニーのヴォーカルもすばらしいが、バックをサポートするミュージシャンも、ギターにフィル・アップチャーチ、コーネル・デュプリー、ドラムにフレット・ホワイトとさりげなく豪華) ![]() 目覚めて途中から聴くことになったが、半田と江藤のベース談義は深夜に熱く盛り上がっていた。深夜放送なのだから、これでいいのだと思う。リスナーはもっと賢い。 眠れない夜にときどき聴くようになった「オールナイトニッポン」は僕のような年齢の人間にはとてもつまらない。あらかじめ聴く人間を高校生や大学生にセグメント化したような内容か、ANN-Rのような高年齢者を想定した早い朝としての「懐メロ」深夜番組で、そのどちらでもない自分にはまったく向かないのだ。 最後に江藤勲のアップライト・ベース生演奏で番組終了。 (番組では告知しなかったが)いよいよ最終回になる来週はニッポン放送のイマジン・スタジオからの公開放送になるという。参加希望者はかならず、レコードを一枚持参というのもいかにも半田健人の番組らしくていい。 そして来週のテーマは「ラジオの未来」である。
2009年 09月 21日
先週まで二週間ほど、ICレコーダーでラジオ番組を予約録音した。
録音したのは以下の番組。 ☆ TBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」(月〜金、13:00〜15:30) TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(土、21:30〜24:30) ニッポン放送「半田健人のオールナイトニッポン」(土、25:00〜27:00) ☆ 「小島慶子 キラ☆キラ」はふだんポッドキャストで聴いているのだが、なにやらここのところ、その暴走機関車ぶりが板についてきた感じで快調な模様。そこで番組全部をたまには聴いてみようと、やっと番組の予約録音をすることにした。先々週の「久米宏 ラジオなんですけど」のエンディングに飛び込みゲスト出演した時に、番組アシスタントの小島とアナウンサー同期になる堀井美香も指摘していたように、「技を身につけた」感じなのだ。小島の相方を務める日替わりの男性陣もここにきて、小島の扱いぶりを心得てきた感も強い。一時期浴びた非難を逆手に取って、スタッフと一体になってそのウルフぶりを発揮できるよい番組になった気がする。先週9月16日(水)のオープニングの宇多丸との近年増加傾向にある「自殺」をテーマにした生硬なフリートーク・バトルもよかった。この日のトークは個人的見解だが「技の域」を越えていたと思う。 たまたまこの日、裏番組「大竹まこと ゴールデンラジオ!」ではゲストが(なんと)小林信彦だった。(こちらはポッドキャストで先に聴いた。)小林は「ストリーム」終了以来、文化放送「ゴールデンラジオ!」の方をよく聴くようになったとのこと。(週刊文春を読んでいる人には周知の通り)大竹の番組は「キラ☆キラ」とはまったく逆で、平日の各日をそれぞれ別の女性パートナーが務める。「女性はいったい何を言い出すかわからないからね」と小林も番組の中で言っていたが、やはり日によって好みでない日もあるらしい。僕も「ゴールデンラジオ!」はパートナーによって聴くにたえない日がある。その点、最近の「キラ☆キラ」は全日、小島慶子の個性(?)をスタッフ、出演者ともにうまくひき立てた番組に成長したと思う。だから昼の時間帯なら「小島慶子 キラ☆キラ」を応援したい。まあ、これが番組を予約録音してざっと聴いて感じた僕の印象である。最近他局の番組でもよく「キラ☆キラ」のことがふとした話のネタに上がることがある。これは他局のパーソナリティたちも、この番組に注目してるってことじゃないのかしらん。 ☆ 「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」はここのところ映画の話題が多い。ただ12時を廻るころ、うとうとしてしまうことが多いので、念のための録音。9月19日の放送サタデーナイト・ラボ「シリーズ“エンドロールに出ない仕事人”第1弾〜スクリプト・ドクターというお仕事〜」がおもしろかった。ハリウッドではすでに認知されているこの「スクリプト・ドクター」だが、ここ数年の日本映画でも、この仕事が成立してきているのは意外と初耳だった。本人もスクリプト・ドクターを務める映画監督・脚本家の三宅隆太氏の講義を宇多丸が熱心に聞く体裁。ある意味マニアックとも言えるこうした内容が、土曜日の夜の番組で聴けるのも「ウィークエンド・シャッフル」ならでは企画だと思う。後半押し気味になってしまい端折りがちになったのが残念。(まあいつものことだが…) ☆ このところの「半田健人のオールナイトニッポン」は注目(耳?)に値する。 9月12日、特番で飛ばされていたため3週間ぶりの登場だったこの日のテーマは「ヘッドフォン」。えっ!ヘッドフォン?と聞き返したくなるテーマ。だが、よく考えたら、かつても書いたように半田は歌謡曲をヘッドフォンで聴くと言うより解析する人である。その「ヘッドフォン愛」は確かに半端ではない。番組二時間をヘッドフォンにまつわる話で展開してみせたのは、さすが!これを聴き終えて、僕も仕事場からゼンハイザーのヘッドフォンを家に持ち帰り、自分なりのヘッドフォンで聴くと気持ちいい音楽を探してしまった。 それでよかったのがこの2枚。 「ミスエデュケーション」ローリン・ヒル ![]() この緻密・繊細にエッジを利かせながらもやさしい音づくりがヘッドフォンに向いている。 「ミニーと出会ったら」ミニー・リパートン ![]() 79年、ミニー最後のアルバム。一曲目の「メモリー・レーン」がなんとも心地よい。 しかし僕の使っているヘッドフォンはメガネをかけて聴いていると、やはりこめかみのあたりが煩わしくなりアルバム全部を聴くのはしんどい。しかもCDだし。番組の中で紹介していた半田一押しのSTAX、SRS-4040Aで聴いてみたい。 おととい19日の特集は「作曲家・都倉俊一」。都倉俊一をゲストにまるまる2時間、ディープな歌謡曲世界を展開してみせた。さながら「半田健人と都倉俊一のオールナイトニッポン」といった様相。 そして来週のテーマは「華麗なる低音の世界、エレキベース」!やっと、ここにきて半田健人の趣味世界満載の展開。これこそ本来ファンがこの番組に期待していたものじゃないだろうか?噂によると10月からは、この時間帯が「オードリーのオールナイトニッポン」に改編になるという。それがほんとうなら、今ごろになって、やっと半田に好きなテーマで活き活きとやらせるというのも、時すでに遅しというか、残念・残酷な話だと思う。 それにしても、「敬老の日」を含んでいるのでシルバー・ウィークというのか、それとも春の黄金週間に対しての秋の銀週間なのかよくわかないが、木曜日に仕事のしわ寄せが一気に全部来るので、まったくもってありがた迷惑な連休である。そこまで国民に遊びで金を使ってほしいのかねって邪推もしたくなる。 「昔ここにラジオがあった 四谷村物語(ぶんかほうそう)」QRラジオマン・グループ編著(東洋書店・現代叢書・2006年)読了。
2009年 09月 13日
やはり気になる。どうしても気になってしまう。
なので先週日曜日の夕方NHKでやっていた「The Beatles in the Studio」を観る。約1時間ほどのビートルズの録音ドキュメンタリーだ。音源に今度発売になったリマスター音源を使用しているというので、気になって見てしまったわけだ。 次にジョージ・マーティン著「メイキング・オブ・サージェント・ペパー」(水木まり訳・キネマ旬報社・1996年)を読み直す。そして「リボルバー」からビートルズのサウンド・エンジニアに就いたジェフ・エメリックの「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」(ハワード・マッセイとの共著、奥田佑士訳・白夜書房・2006年)も読む。分厚い本だが、これがすこぶるスリリングで感動的内容。さまざまな偶然の織りなすエピソードは、それが結果まったくの必然に思われるほどみごとなタペストリーになる。ここには、ジョージ・マーティンの本からは伝わらない、エンジニアという現場での特殊技能も持つ人間の目を通して見た、さらにリアルでヴィヴィッドなEMIスタジオ(もちろん後のアビイ・ロード・スタジオ)でのビートルズの録音風景と彼らとの交流が描かれている。これまで知らなかった事実も多数。たとえばジョージ作曲の「タックスマン」のギター(リードもそう)がポールだったとか、「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」のジョンの有名なレスリーを使ったヴォーカル撮りの話はさらに大胆に具体的に掘り下げたエピソードになっている。金曜の夜には久しぶりに「タモリ倶楽部」を見た。旧盤とリマスター盤の聞き比べを近田春男と萩原健太をゲストにやっていたからだ。ああ、これではますます欲求不満になってしまうではないか。 ところで最近僕は自分の耳にちょっと自信を持てずにいる。 というのも、今年6月にやった1分間の作品7本のミックスダウンのディレクションに失敗したからだ。けっきょく別のスタジオに入り、別のミキサーの人でやり直した。大きな原因はリバーブ処理とミックスダウン時の全体の音圧にあった。僕は一時期自分の作品は自分でミックスとトラックダウンをしていたことがある。(トラック数はせいぜい8chの難しいTDではない。)けれど、この時はけっしてリバーブは使わなかった。ソフトのプラグインとしてのリバーブは自分に専門的知識がないし、パラメーター調整のための専門用語もよくわからなかったので、余計なことはしなかった。使ったのは、せいぜいEQくらい。それでもパソコン上のミキサー・メーターはリアルタイムでその処理に追いつかず遅れる。最終的に当てにできるのはアナログのVUメーターである。 しかも最近ではAMラジオしか聴かないので耳がいつの間にか、S/Nのかなり悪いモノラル耳になってしまったんだろうか。たかだか計12〜14chしかなくても、音のミックスダウンは難しいなと少し落ち込んでいた昨今なのである。(その上、最近の僕の星占いは信じがたいほど悪い。けっして信じている訳じゃないけど、こんなに連日悪いとやはり気にはなる。) AMラジオでは多くの番組が、今回のビートルズ、リマスター発売に併せて特番を組んでいるが(とくにニッポン放送)、じっさい世の中の人たちの反応はどうなのだろう? で気になった挙げ句、昨日は星占いも「何事も積極的な行動がGOOD!」と宣っていたので、山野楽器・銀座本店へと出かけてみた。 銀座通りは歩行者天国でにぎわっていたが、店内はそれほどでもない。地下に降り実際の販売コーナーで、ヘッドフォンで用意された旧盤とリマスター盤の約10分ほどの聞き比べをしてみる。(もちろんステレオ盤) これが、なかなかぞくっと来る内容。聴いた10曲ほどの範囲ではよく仕上がっている。ちなみにボックスセットは、ステレオ盤、モノ盤両方とも売り切れ状態。このビートルズ・コーナーに興味を示してるのは、年配の男性ばかり。(あっ僕もですが…) 5時から7階のイベントスペース“Jam Spot”で和久井光司さんと片寄明人さんの記念イベント、トーク・ライブがあったので覗いてみることに。 こんな内容のトーク(山野楽器サイトから)。 ☆ 『レコード・コレクターズ』誌など音楽専門誌への執筆活動や『ビートルズ&アップル・マテリアル』を皮切りとした著書・編著の出版、また、ソロ名義での音楽活動を行う傍ら、漫画家・浦沢直樹氏の音楽活動をプロデュースしている和久井光司氏と、Great3、Chocola & Akitoなど自身のアーティスト活動に加え、フジファブリックなどのプロデュースや楽曲提供も行う片寄明人氏によるトーク・ライヴ。音楽を中心に多方面で活躍されるお二人に、ザ・ビートルズとの出会いから最新のリマスター音源分析までたっぷりと語っていただきます! ☆ お勧めの何曲かをJBLの大きいスピーカーで聞き比べながら聴けたのがよかった。さらにモノ盤としてお勧めの「ロング・トール・サリー」を聴けたのがなによりうれしい。けれど会場内を見渡すと、どうも集まっているのは、やはり年齢が上の人が多い。(集まった人に比べれば、和久井さんも片寄さんも若い方かもと感じる。) 帰りに会場内の売店でレコード・コレクターズ10月号を買って帰る。(レココレ買うのはもう何年ぶりのことだろう)南砂町の駅を出た途端に車軸を流すような土砂降りに。慌てて近くのコンビニでビニール傘を買ったが、時すでに遅し。道は川状態。服も鞄も靴のなかもびしょびしょ。諦めて30分ほどかけて家に着く。 鞄の中を開けてみたら、買った本もかなり濡れていた。 乾かしながら、ページを剥がすようにざあっと目を通す。 今回のリマスター盤はEMIの特別スタッフが192KHz、24ビットで取り込みProToolsで波形編集を行ったとか。 ああ、またここでもProToolsですか。もはやどこのスタジオもこれなしでは成り立たない。 星占いでは、積極的に行動した結果を誰かと分かち合った方がいいとかいてあったけど、これ分かち合ったことになってますかね? (とりとめのない、まとまらないことを書いてしまったと反省)
2009年 09月 09日
先月、初盆で実家に帰った時に、家の仏壇で当たり前のように使っていたマッチ。
![]() はなやかなフルーツカラートリオ ピンク=幸せの色 PINK ![]() 3室独立冷却 日立スリーエス冷凍冷蔵庫 現金正価 62,800円 家はいつから時間が止まってしまったんだか… あまりに珍しいんで、記念にこっそりもらって帰ってきてしまった。
2009年 09月 07日
世田谷の三宿に住んでいた頃、近所の酒屋のおばさんと何のきっかけか忘れてしまったが、「三人娘」のうち誰がいちばん好きかという話になった。三人娘とは、百恵、淳子、昌子でもなく、ミエ、ゆかり、まりのスパーク三人娘でもなく、元祖三人娘ひばり、チエミ、いづみのことだ。おばさんは「チエミがいちばん好き」と言うので、僕も大きくあいずちを打った。 その頃の私ときたら(今では信じがたいが)、仕事の合間を見つけてはレコード漁りを続けていた。ロック・ジャズ系のレコードなら、桜ヶ丘のマンションの一室にあったThe Perfect Circleなどに通い、歌謡曲なら「タモリ倶楽部」でお馴染みだった蒲田にあるえとせとらレコードまで出かけていた。それで江利チエミ再発見をして、三人娘ならやっぱり江利チエミがいいなあと思っていたのだろう。 僕がはじめて眼にした江利チエミは60年代、テレビのホームドラマにおいてである。(51年に十四歳でデビューしたチエミは、その頃もう二巡目の活動時期に入っていた。)その主題歌も彼女が唄っていて、今でも歌詞を見なくても唄える。 「咲子さんちょっと」 TBS、昭和36年(1961年)10月2日〜38年(1963)12月30日、水曜午後8:00〜8:30、後に月曜9:00〜9:30。出演:江利チエミ、小泉博、伊志井寛、葦原邦子。若い娘の咲子と作曲家の夫、その父母をからませて暖かく包んだホームドラマ。39年に続編が製作された。(King 「テレビ主題歌黄金時代〜お茶の間編〜」より) さすがにこのドラマの内容はうすぼんやりとしか覚えていない。それも続編の方からかもしれない。 「サザエさん」 TBS、昭和40年(1965年)11月〜42年(1967)9月、金曜午後9:00〜9:30。出演:江利チエミ、森川信、清川虹子、吉原誠利。上原ゆかり、川崎敬三。長谷川町子原作。東京の郊外に近い住宅地を舞台に、サザエさんとあわて者ぞろいのイソノ一家の笑いを描く。(同King 「テレビ主題歌黄金時代〜お茶の間編〜」より)こちらの方はそりゃもうよく覚えている。コメディエンヌとしてのチエミのサザエさんを毎週楽しみにしていた。今でも主題歌もよく覚えている。東宝で10本もつくられた映画を経て、その人気からテレビに移動したのだという。(写真はたぶん映画のものかもしれない。) サザエさん サザエさん サザエさんってどんな人 そりゃもう美人で そりゃもうしとやかで 朗らかすぎて 上品で 親孝行で 親切で ラララでパッパッパ パッパッパでラララ このふたつのドラマ主題歌とも作曲は神津善行で、このふたつのドラマの間に発表され大ヒットしたのが、同じく神津作曲による名曲「新妻に捧げる歌」(1964年)。 「新妻に捧げる歌」江利チエミ (作詞:中村メイコ 作曲:神津善行) 幸せを求めて 二人の心は 寄り添い 結び合う 愛のともしび 悲しみを 慰め 喜びを 分かち合い 二人で歌う 愛の歌 ララララ ララララ ララララ ララララ ララララ ララララ ララララ ララララ ![]() 江利チエミたった一冊の評伝「江利チエミ物語 〜テネシー・ワルツが聴こえる〜」(藤原佑好、2006年・長崎出版)読了。
2009年 08月 31日
「『月刊民放』十月号連載、制作ノートから18「パックイン・ミュージック、若者の夢を育む」林美雄(東京放送・アナウンス室)の原稿です。
けっしてしゃべりの巧みなアナウンサーではなかったし、人を笑わせるテクニックもそれほど持ち合わせていない。さりとて人間的な魅力も、放送上の個性になるほど培っていなかった。 そんな人間が、久米宏急病のピンチヒッターとは言え、深夜のしかも多感な若者相手の二時間を預かって何ができるのか?今からほぼ十年前の番組担当当初は、まさに迷い道、茨道、よれよれの日々、案じたとおり、自分でやってみて、自分の放送がつまらなかった。そのミスター思案投首が、これで行こうとの切り札を手にしたのが、人気のない池袋の映画館で『八月の濡れた砂』に出逢った71年の夏の終わり。 「あれーっ、こんな青春映画が日本にあったのか」衝撃に近い驚きだった。深夜放送=若者=青春映画、いささか画一的だが、この図式が出来上がり、70年の6月にスタートした僕のパック、わたくしが担当させていただいたこの「パックインミュージック」。十年続いたというひとつのほんとうに、まあきっかけはこの『八月の濡れた砂』という映画であり、この主題歌を歌っていた石川セリ嬢との出逢いだったと思います。」 「酒を呑む約束をいつからかしなくなりました。きっとあなた達も社会に出て、いろんなお酒を呑むケースが出てくると思うんですがね、「今度いつか呑みましょうね」その時にバッと断るケース『あなたとは呑みません」というケースも出てくるし、さりげない日常会話で仲良くしてこうと「またね、いつかね」という会話で別れる時があるけれども、「お酒呑みましょうね」と言われたことに僕はこだわるんですよね。そうすると、いつの日かやっぱり呑まなきゃいけないと思うんだけれども、だんだんそれが約束をしなくなってきた。何故かって言うと「今度お酒を呑みましょうね」といった場合に、同じ体験とか歴史がない場合に、逢ってそこそこの楽しい話、それがなくなってくると、人の噂、悪口、弁明、くだを巻くという呑み方がとっても嫌になってきてね、でたいへん生意気な言い方だけど、僕がいる場所へ来いと、俺が行くコンサート芝居、逢う人みんな燃えている。そこでいいもの見たなあ!という熱き高揚、でそのいい場所には必ずやほかのいろんな人間が集まっていると。誰か知り合いがいると。そう向こうもおんなじように、いいもの見たその熱き高揚をですね、何かのかたちで伝えたいと思って。その時に「お酒でも呑みに行こうか」っていう呑む酒はひじょうに発展的な酒になりうると、だから愚痴を言うとか、俺の生き方は今こうだけど、わかってくれるかって言うのは、ずっとずっと後に置いたお酒の呑み方として取っておいて、ともかく自分のたぎった血みたいのをハァっとぶつけ合う、そう言う場所はあるんです、探せば。おはがきの中に、たくさんうれしいことに行動の選択のある指針として、僕が出してきた情報をかなりの方が信頼してくださいましてね、今後それをどうしたらいいのか?自分でこれからは自分なりの「ユアヒットしないパレード」を作っていきます。あるいは自分なりの「映画コーナー」を作っていきます。自分で動き始めますというお手紙がずいぶんありましてね、ずいぶん意を強くしています。誇りと言えば、スケール小さかったけど、最前線部隊であったと。 つねに前線を歩いてきたなという気がありましてね、ちょっと後退しますけどね、とりあえ撤退しますけどね、武器を補給してまた最前線部隊にいずれは復帰して参りますので、そのときはまたよろしく接してください。」林美雄 「サマークリスマス2002 林美雄フォーエバー」 (TBSラジオ・2002年9月1日放送より部分再録)
2009年 08月 29日
2009年9月9日に最新リマスターCDが新発売されるザ・ビートルズ(The Beatles)の全オリジナル・アルバム。世界中が生まれ変わったザ・ビートルズの音源を心待ちにする中、そのリマスター音源がいよいよ本日、世界同時オンエア解禁となりました。(MSN.ミュージック記事より)
微妙な心境です。ご存じの方はご存じのように、現在わたし一枚のアルバムもCDも持っていません。もちろん、ビートルズもストーンズも。手元に残っているのは、当時番組用にスキャンしたカヴァーだけ。 つう訳で今週は月曜日から5日間「亀渕昭信のオールナイトニッポンGOLD ザ・ビートルズ オールリクエスト5Days」(ニッポン放送、22:00〜23:50)を聴き続けているのですが、金曜今夜やっと番組でそのリマスター音源を聴けるようになりました。AMラジオでどこまでわかるんだって気もしましたが、(“Let It Be…Naked”の時のように、聞き比べたわけではないのですが)たしかに一曲目にかかった「デイ・トリッパー」を聴くとクリア・ラウドな演奏に対するヴォーカルの微妙なリヴァーブ感と奥行きが違う気がしました。 残念ながらオリジナル盤モノラル・ミックス・アルバムは『ザ・ビートルズ MONO BOX』の11枚セットでしか聴けません。しかも値段はなんと39,800円。 うーん、こういう時にレコード全部売るんじゃなかったって少し後悔します。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Tags:The Beatles
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||